春山合宿行動記録

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期間:3/26〜4/2
山域:北アルプス(ブナ立尾根〜裏銀座〜槍ヶ岳)
参加者:安倍健太郎(2年、C.L.、医療)
        市丸伸一(1年、食料)
        阪上宏樹(1年、装備)
行動記録
3/25  離福
 柳さんと氏の彼女に見送っていただきたくさんの差し入れとともに出発。新神戸で
は福留さん、大阪駅では望月さんご夫妻、福原さんの温かい見送りを受ける。
 

    26   (晴後曇り後雨)
          5:45七倉→7:45ブナ立尾根取付→14:30三角点(T.S.)

      天気予報では雨が予想されていたが、大町につくと星が出ており予想外の好天
に驚喜する。タクシーで七倉まで行きそこから高瀬ダムまで1時間ちょっとの車道歩
き。ブナ立尾根の取付は夏道の立て札が出ていた。いきなりの急登も手すり付きの木
製の夏道が半分ぐらいでておりそれを使って楽に越える。そこからえんえんと樹林帯
のラッセルが続く。ラッセルといっても深いところで膝上ぐらい、だいたいすねぐら
いと比較的条件は良い。が、トップを行く安倍のペースは遅く結局2200M三角
点にて幕営。某大のK氏であればこの状態なら余裕で烏帽子小屋まで行けたと思われ
る。15時頃より雨が降り出す。
 

    27  (雨、12℃…テント内)
         4:00起床5:40発→9:10烏帽子小屋(T.S.)

 出だしから安倍のピッチあがらず、100M上がるのに1hかかる始末。途中右側が
切れている雪壁状のところでザイルをだし、小屋までコンテですすむ。烏帽子小屋ま
での1ピッチ1年にラッセルをさせる。テントを張り終えるころ雨が強くなる。
 

    28    (快晴後ガス風強シ、-2℃)
         4:00起床6:30発→10:30野口五郎岳→11:30真砂岳→
11:45真砂岳直下の小ピーク(T.S.)

      昨晩からかなり冷え込みかなり寒い。阪上がプラ靴のインナーを凍らす。ザイ
ルも針金のようになっており出発に非常に時間がかかる。出
発してすぐ1年のアイゼンが何度も外れるので調整し直す。野口五郎
小屋まではピークの西側を巻いていく夏道が出ておりほとんどアップ
ダウンもなく進む。しかし今日もペースは遅く野口五郎小屋に着くこ
ろにはかなりバテ気味。加えてそこから体がもっていかれそうな強風
が吹き荒れ、まさに亀のような足どりで野口五郎岳へ。山頂では遠
く槍が見える。みな写真を撮ったりしてはしゃぐ。真砂岳を過ぎるこ
ろから視界が悪くなり風も依然として強いので真砂岳からすぐの小ピ
ークで幕営。夕食に市丸の嗜好品‘うなぎの蒲焼き’登場。
 

    29    (快晴、-4℃)
           4:00起床6:30発→8:50水晶小屋→10:50ワリモ岳→
           11:40鷲羽岳?12:45三俣山荘(T.S.)

  朝になってもまだ風が強いが外を見てみると晴れ渡っている。強風のため待機して
いたのと紅茶を作り忘れていたために今日も出発が遅れる。東沢乗越付近では両側が
切れ落ちているところも有り緊張感があった。スタカット2ピッチ。水晶小屋からワ
リモ岳に向かうとき夏道
にこだわり途中のピークを踏まずに西側斜面を巻いていくがこれは間
違いであった。急斜面のトラバースでスリップすれば遥か下まで止ま
りそうにないし、雪崩等の危険も考えるとここは稜線上を行くべきだ
った。ワリモ岳山頂直下の登りと下りで1ピッチスタカット。鷲羽岳
の登りは非常につらかったが山頂からは昨日より大きくなった槍が
見え着実に近づいている事を実感する。
 

    30  (晴後曇り、-6℃)
      4:00起床5:50発→7:20三俣蓮華岳→8:30双六岳→9:
      50双六小屋→10:40樅沢岳→12:30硫黄尾根との合流点手前
      の台地(T.S.)

      三俣蓮華岳の登りは地形が複雑でルートファインディングにいささか苦労する
が視界はばっちりでアイゼンも快適に効く。頂上直下の雪壁
で1ピッチスタカット。三俣蓮華岳からは双六岳を巻いていくか大い
 に悩むが慎重を期して稜線を行く事にする。双六小屋までの下り始め
   は急な広い雪面でスタカットしながら降りていく。双六小屋に着き大
    休止。予定ではここまでであるが、翌日の槍アタックを楽にするため
     もう少し足を進めることにする。樅沢岳の下りは細い雪稜で今日一番 緊張し
た。硫黄尾根が合流する少し手前の地点で幕営。展望の良い快適なテン場で双六小屋
にしなくて正解であった。ちなみにこのテン場
      では1年所有の携帯電話のアンテナが3本立っていた。1年は親にメールを出
したり気象予報を聞いたりしている。う?む、おそるべし携
 帯電話。
 

 31   (風雪のち晴、0℃)
          沈殿

      南岸低気圧の通過による悪天。行動しようと思えば可能だったが、
      核心部の西鎌尾根の通過もあり、明日の好天が予想されていたので沈殿とす
る。 昼ごろから天候は回復する。
 
 

 4/ 1  (晴、風強シ)

     3:30起床5:20発→8:30千丈沢乗越?→10:20槍の肩→
     11:20槍ヶ岳→13:15槍の肩→14:30千丈沢乗越→
     15:00中崎尾根2500M地点でビバーク

   昨日降った雪のため多少のラッセルあり。西鎌尾根は左俣谷側を巻いていく所が
多いがスリップすれば致命的な場所でありかつ確保は難しいためひたすら口頭で注意
をしながらすすむ。1ポイント5mぐらいのぼろぼろの凹角を登る所がありそこでス
タカット。阿蘇の岩のような脆さでかなり神経を使った。千丈沢乗越にワカン、ス
トックをデポして槍の肩に向けて出発。途中岩峰を飛騨沢側に巻いていくがふんわり
と積もった膝上ぐらいの新雪に雪崩の恐怖を感じる。3人間隔を開けて慎重に進む。
そこを越えるとあとは危険個所もなく槍の肩へ。肩に着くとすでに単独の方が穂先へ
向けて登っている。そういえば中崎尾根からずっとトレースが付いていた。天気も良
く時間も早い事なので非常缶、ツェルト等は持たずにテルモス、登攀具を安倍のザッ
クに入れて1年は空荷でアタック。スタカット2ピッチを交え待望の槍山頂へ。みな
大はしゃぎ。写真を撮っているとカメラのアングルに岐阜県警のヘリが空中停止して
くれいっしょに記念撮影。後ろ髪を引かれつつ下降開始。懸垂2ピッチ、スタカット
3ピッチで肩に戻る。明日は天気が崩れるとの予報が出ていたのでできる限り下る事
にする。
   往路を引き返すがやはり飛騨沢側を巻いていく所は神経を使う。千丈沢乗越から
中崎尾根に入るとき去年と同じように飛騨沢をトラバース気味に進んだが、先行者の
トレースのように千丈沢乗越付近のピークからまっすぐ中崎尾根に入るほうが安全で
あった。雪が腐ってきてだんごがうっとうしいので中崎尾根の2500M地点で幕営
する事に決定。槍アタックもうまくいき、安全地帯に入った事もあり、安倍がテント
設営を1年に任せ一人感慨にふけっていると、某君の「あっ」という声とともに黒い
棒が飛騨沢へ向けて滑り落ちていく。テントのポールだった。本日は嗜好品大放出
パーティーが予定されていただけにショックは大きい。ストックでポールの代用を試
みたりもするが駄目で、ここで、どうしてもツェルトでビバークしたくない安倍は1
年に水作りを任せて冬山で松垣氏に伝授された雪洞作りを開始。このにわか仕込みの
雪洞作りが間違いの始まりだった。順調に掘り進み17時頃には3人入れるものが出
来た。さらに1年に掘らせて結構快適そうなのが完成。初めての雪洞泊りに心躍らせ
ていると、雪洞内に妙な亀裂がある事に気付く。その亀裂は底が見えないほど深く、
そこから不気味な冷気が出ている。地形的に見てどうやら雪庇との境目のようであ
る。1年は不安がって雪洞に入ろうとしない。外はもう暗くなっておりかなり冷え込
んできて早くどうするか決めないといけない。せっかく苦労して雪洞を掘ったのに今
更ツェルトビバークはどうしてもいやだったのでピッケル、バイル、スノーアンカー
の3つからセルフビレーをとらせて強引に雪洞に入れる。雪洞内はさすがに温かい。
晩飯を食べて一息つくとだんだん不安になってくる。セルフビレーをとっていると
いっても雪庇が崩壊すれば何の役にも立たないであろう。それでも昨日の晩も槍ア
タックを控えてほとんど眠れなかったので何時間かは眠れた。1年は着の身着のまま
のビバークだが、安倍は一人シュラフカバーを使用し空焚きで暖を取るという軟弱ぶ
りを発揮。
   3時半になり飯を食べ、急いで雪洞から脱出。パッキングをし明るくなるまで
ツェルトで待機。ツェルトに入ると本当に安心した。こんなことなら最初 からツェ
ルトにするんだった…。
 

      2  (曇り後雨)
         5:30発→7:20槍平→11:15新穂高温泉

   薄暗い中歩き始める。視界は10mくらい。しかし先行者のトレースがはっきり
ついており迷いようがない。しかも雪が締まっていて階段のようになったトレースを
使ってぐんぐん進む。ポイントとされていた槍平への下降点も気にする必要がなかっ
た。奥丸山手前のとんがったピークが下降点。槍平で先行されていた単独の方に追い
つく。ザイル、ゼルプストをしまい2ピッチで新穂高温泉へ。去年あれほど長く感じ
られた新穂高への道もあっという間に思えた。その後松本でOBの方々にいただいた
使い切れないほどの打ち上げ代を手に日ごろ注文しないような豪華なものを食べまく
る。生きた心地のしなかった昨夜を思うと一層おいしく感じられた。



春山の反省 
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○ ペースが全体的に遅い
これはトップを行く安倍の体力不足・靴ずれが原因である。短縮を前提として
計画を立てたのだがほぼ計画どうりにしか進めなかった。ただ、今回の山行に
関して言えば、このスローペースが結果として1年の負担を減らし、スリップ
等の事故もなくしっかり歩けた要因となった事は確かである。しかし、冬山や
より厳しいルートを視野に入れるとスピーディーに長い距離を行動できる体力
を身につける必要がある。

○ 阪上がプラ靴のインナーを凍らせた
阪上が普段やっていること(インナーをシュラフの中に入れて寝る)をしなかっ
たためである。安倍は気づいていたが、前日の朝は気温も高くそうしていても
別に問題はなく、また雨でびしょ濡れであったのでシュラフの中に入れさせて
シュラフを濡らすのも悪いと思い放置しておいた。寝る前に乾かさせるなどし
てインナーの管理を徹底させるべきだった。

○ 同じ日の朝ザイルを凍らせた
管理についてはシュラフの下に引いており特に問題なかった。原因としてその
ザイルは1年以上酷使されて防水性がかなり低下していたためだと思われる。
対策としてはシュラフの中に入れるというのは無理があるのでシュラフの下に
引く場所を変える(今回は足の下に引いていたがお尻の下にするなど)ことが
考えられるが、一番手っ取り早いのが新しいザイルを購入する事である。

○ 起床から出発までの時間が遅い
安倍があまり急がせなかったこと、また市丸がコンタクトを付けるのに時間が
かかるため普通通りに朝食の準備をしていると遅れるのはわかっているのに安
倍が朝食の準備を積極的にしなかったことが原因である。安倍には朝食の準備
は下級生の仕事という考えがあったので(この考え自体おかしいといえるが)
市丸には起床時間の前に起きてコンタクトを付ける事を一度指示したのだが守っ
ていなかったので、睡眠時間を削らせるのも悪いと思い徹底しなかった。かと
いって、市丸の代わりに朝食を作るという事もなかった。市丸の自主性に期待
していたのだが、もっと厳しく言うか自分でやるかどちらかはっきりするべき
だった。また朝食を食べ終わってテントを出るまでの動きが遅かった。最初は
安倍が早く出て1年をせかしていたがなかなか出てこず外で待っているのが寒
く、また朝からあまり口うるさく言いたくなかったので次第に1年のペースに
あわせるようにした。これも朝の出発の重要性をわかっていない無意味な甘さ
で、怒鳴ってでも早くさせるべきだった。
 
 

○ 3/29の朝待機した
朝起きると強風が吹いており、晴れていたのだが2〜30分待機した。東沢乗
越の通過を前に、少しでも風が弱まりまた完全に明るくなってから動きたいと
思ったからだが、これも冬山では当たり前の風なのでその辺を意識して厳しく
臨むべきだった。また、この日の朝紅茶を作り忘れていたのはまったくの軽率
であったが、1年も毎朝の仕事なのでそのへんはもう少し早く気づいて欲しかっ
た。
 

○ 3/31の沈殿について
まず、この日沈殿したこと自体についての問題であるが、天候は、風はさほど
強くなく雪は降っているが視界は20mぐらいで少し天気の悪い冬山のような
感じで動こうと思えば可能であったかもしれない。しかし、@核心部である西
鎌尾根の通過Aテントサイトは槍の肩までないB明日は好天が期待されたCこ
こまで1日短縮しており日程的にも余裕があったD悪天において確実に動ける
自信がなかった。等の理由から沈殿とした。このことで1年は条件の悪い状態
での行動の経験ができなかったわけであるが、このパーティー、少なくともリ
ーダーの私にはそうした悪天で1年を鍛えるような余裕はなかった。よって沈
殿の判断自体は間違っていないと思う。ただ、反省すべき点は前日の夜から沈
殿をする心づもりだった事だ。前日の夜のラジオの気象通報などで明日の悪天
が予想され、天気図にも日本の南岸に低気圧が接近していたので1年にも明日
の沈殿をほのめかすなど前日から沈殿は決まっていたような雰囲気を作ってし
まった。その朝もシュラフをたたまずパッキングもせずにシュラフの中で待機
し、8:00に早々と沈殿を決定したりと動こうという意志が全くなかった。
冬山の原則である動けるときに出来る限り先に進むということを考えるとこの
ような態度は1年に大きな悪影響を及ぼしたことは確かだ。このようなことは
冬山では決して起こさないように気を付けたい。
 

○ 4/1のことについて
4/1の夜フォーストビバークという事態に陥ってしまったが、この直接的な
原因はテントのポールを落としたからである。しかし、ポールを落とす事になっ
たのはすべて安倍の気の緩み、判断のまずさが引き起こしたものだった。まず
中崎尾根2500M付近をテントサイトに決めたことである。ここに決めた理
由は、@もう少し下ればいくらでもテントサイトがある事を知らなかった。A
アイゼンにダンゴがついて歩きにくかった。Bこの場所からであれば次の日確
実に下山できると思った。からである。この判断のまずさもあるが一番反省し
なければならないのはそこに着いたとき完全に気をゆるめていた事だ。飛騨沢
側は木が1本も生えておらず右側は雪庇が出ている場所であるが比較的平坦な
場所で飛騨沢のほうはふかふかの雪で傾斜も緩く人が落ちていく可能性はなか
った。しかし、物が落ちていくという事態は全く想定しておらず、槍アタック
が予想以上にうまくいった事もあり完全に気を緩め、安倍はテント設営を手伝
わずにぼーっとしているところで事故が発生した。ポールを落とした事のはテ
ントサイトの選定ミスに加えて安倍の気の緩みが引き起こしたものである。そ
の後ストックでポールの代用を試みたりするが先端の輪がとれず諦め、こうい
うこともない限り雪洞を使うことはないので、いい機会という事で雪洞構築に
取り掛かる。このとき15:20。安倍が雪洞を掘っている間1年は水作りを
する。17時過ぎなんとか3人座れるぐらいの雪洞ができ1年を呼び拡張工事
をさせる。18時3人が無理すれば横になれるくらいの雪洞完成。雪洞に入る
準備をしていると雪洞内に亀裂があるのを発見。外でどうするか相談するが1
年は不安がって雪洞に入りたくなさそうである。外は暗くなり始めており、ま
たかなり寒くなってきて安倍は早急な判断を迫られた。この時考えられた選択
は、@月が出ており比較的視界が得られ、トレースもあるので槍平まで行く。
Aこのまま雪洞に入る。Bこの場所でツェルトビバークをする。この3つであ
った。@についてはトレースが槍平まであるという保証はなく、そうすれば迷
う可能性があり、また仮にあったとしても小屋に着くのはかなり遅い時間にな
るのが予想されたので疲れもあり危険であると判断した。残るはAとBである
が、ここで雪洞作りにかなりの労力を費やした安倍は私情(せっかく雪洞を掘
ったのに今更ツェルトビバークをするなら最初からそうすれば良かった。ツェ
ルトビバークは寒い。雪洞に泊まった事はなかったので泊まってみたい(自分
で作ったものなのでなおさら)。)をはさみ、不安そうな1年を、セルフビレ
ーをとるから大丈夫と半ば強引に雪洞に入れた。この時18時半。雪洞内にザ
ックを入れるスペースはなくザックは外においてあり、1年には防寒着とシュ
ラフカバーの使用を指示したが取に行く気力もないのかシュラフカバーを使用
したのは安倍だけであった。市丸に至っては防寒着も使わず上下カッパである
事もあり非常に心配であった。雪洞内は比較的温かく何とか寝られたが、常に
雪洞崩壊の不安にさいなまれた。雪洞に入る事を選択したのは、前述したよう
に安倍が主に雪洞を掘ったのでその雪洞に対する思い入れから冷静な判断力を
失っていたことが主な原因である。その亀裂は何であったかはわからないが、
そのときは雪庇と雪面との境目と推測した。そのような不安な要素があるにも
かかわらず私情のほうを優先させてしまった。これは冬山でも反省していた事
だがその反省を繰り返してしまったのは情けない限りである。ツェルトビバー
クを主張していたのはほとんど雪洞作りに携わらなかった阪上だけであった。
思えば彼があの場で一番冷静だったのかもしれない。
そもそもちゃんとした雪洞を掘れていればよかったのだが、経験不足・勉強不
足でいわくつきの雪洞となってしまった。雪洞についても勉強し直したい。ま
た、ちゃんとしたツェルトの張り方を知らないのでそうした知識や、ツェルト
ビバークに耐えうる耐寒力・忍耐力などが必要だと感じた。もっとツェルトを
活用できるように、これからの活動にツェルトを取り入れていきたい。

○総括
 1年生の合宿目的であった《北アルプスの概念把握、雪上歩行・幕営技術の習
得、積雪期の縦走を経験する》という観点からは非常によい合宿となり、目的
もほぼ達成できたと思う。しかし、安倍の合宿目的であった《リーダーシップ
の養成・習得》については、とても目的を果たせたとは言い難く今後に大きな
課題を残した。
 また、今回計画を消化できたのは好天に助けられたところが大きいので今回
をもって我々の実力を測るのは難しいが、条件がよければしっかり歩けるとい
う自信は得た。今回得たことや反省点を今後の活動に生かしステップアップし
ていきたい。



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