屏風岩東壁雲稜ルート・4峰正面壁北条新村ルート 報告書

期間:1999年10月8日〜13日
山域:穂高(屏風岩・前穂北尾根四峰正面壁)
参加者:木下 宗重(PL、久留米大山岳部4年)
     安倍 健太郎(九大3年)

行動記録
10/8(快晴)
   上高地→横尾(B.C.)
横尾にB.C.設営後1ルンゼへの渡渉点の偵察に向かう。ズボンをまくって裸足になって渡る。冷たすぎる・・・・。
 

10/9(快晴)
  屏風岩東壁雲稜ルート
 5:00起床5:25発→6:30T4尾根取付→8:00T4→13:45終了点→17:45B.C
渡渉は意外とすんなりいく。1ルンゼの登りで一汗かく。T4尾根基部で去年の冬に行方不明になっていた木下さんのシュラフと再会。屏風の大きさに少々気圧されつつ登攀準備。安倍のリードで登り始める。つい最近日向神でロングフォールしている事もあって体がこわばってなかなかクライミングを楽しむ余裕はなかった。それからツルベで登ってブッシュがうるさくなってきたところで終了。思ったよりも時間がかかった事にショック。同ルートを懸垂下降。渡渉終了後木下氏の渡渉シーンを写真におさめるべくカメラ片手に堤防を急いで登っているとスタンスが崩れ安倍1m転落。腰を強打する。
 

10/10(快晴)
  沈殿
安倍の腰の状態が思わしくないので一日様子を見ることにする。申し訳ないやら情けないやら悔しくて泣きそうだった。明日はどんなに痛くても我慢する決意をする。
 

10/11(快晴)
  屏風岩東稜ルート→16:00屏風の頭→17:25北尾根最低コル(B.P.)
まだ腰は痛いけど継続登攀に出発する。東稜は単調なボルトラダーとか書いてあるけど全体的にかぶっていてなかなか厳しかった。雲稜よりさらに時間がかかり14:30くらいに樹林帯に入って終了。今日は真夏のような暑さで水は各自2リットル持ったが終了時点で1リットルずつしか残っていない。屏風の頭まで一歩き。涸沢の紅葉がまぶしい。予定では5,6のコルでビバークだったが最低コル付近で薄暗くなり適当なところで行動打ち切り。水が少ないのでジフィーズも食えず甘酒と行動食の残りを食べて寝る。全然寒くなくて満天の星の下快適なビバーク(喉の渇き以外は)。
 

10/12(快晴)
  B.P.→5,6のコル→4峰正面壁北条新村ルート→5,6のコル→14:20涸沢17:00→19:00横尾
 朝はスープとカロリーメイト。この時点で水の残りは二人合わせて1リットル。節水を確認して出発。いきなりの8峰の登りで両者へばる。体が重すぎる・・・。休憩のたびにこそこそ水を飲んでるうちに5,6のコルにつくころには残り2〜300mlくらい。今日もうだるような暑さでこのまま右折して涸沢に駆け下りたい衝動を押さえて奥又白に下る。
 本谷に出るところで木下氏がつぶれた大きな鍋を発見。その中には泥の沈殿した液体が!!迷わず2人ですする。口の中がじゃりじゃりいっている。奥又白本谷は夏のあの大雪渓はどこへ消えたのか一面ガレ場。木下氏曰く「砂漠だー」(byCCレモン)。幻覚が見え始めるころに木下氏が「雪渓がある」と言い出す。ああ、あなたもそうかーと思っていたら本当に2メートル四方の薄汚れた雪渓があった。2人で必死に削り取りポリタンにつめて真っ黒な水が300mlくらいできた。これで多少落ち着きを取り戻し、夏にひどい目にあったアプローチも迷う事無く無事取付きへ。
 水の無いこの状況で失敗は許されない事を確認して安倍のリードでスタート。2ピッチでハイマツテラスに着く。核心部のハングを前に開き直って残りの水を全部飲み干す。ハングは人工使いまくりで気力だけで登る。支点まで2mというところでザイルが動かなくなる。奇声を発しながら強引に這い上がる。さらに1ピッチで終了。あとは惰性で涸沢まで駆け下る。
 涸沢にフラフラの状態で到着しがっちり握手。周りの中高年のおばちゃんから歓声をいただく。ついでに差し入れもいただく。ビールで乾杯。至福のひととき。水使いたい放題の夢のような状況のなかでいろいろ作って食べまくる。薄暗くなるころ横尾にむけて千鳥足で下る。本谷橋からはキャップランプ。
 

10/13(快晴)
  下山
途中夏合宿でお世話になった徳本峠小屋にご挨拶に行く。残念ながら管理人の今川さんは入れ違いで下山されていたが再び手厚いおもてなしを受ける。ビールやお昼ご飯までご馳走になり感激してしまう。2時間くらいお話をして、後ろ髪を引かれつつ上高地に向けて下山する酔っ払い2人がいた。


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