2004年度冬山合宿(爺ヶ岳・鹿島槍ヶ岳隊)報告
文責:大山
○山域:北アルプス爺ヶ岳東尾根〜鹿島槍ヶ岳
○期間:2004年12/25(土)〜12/31(金) 実働6日移動1日
○参加者:大山千聡(M1、C.L.)、柿原秀俊(1年)、千先治樹(1年)

12月25日(移動日) 博多15:22〔のぞみ〕〜18:45名古屋19:00〔特急しなの〕〜21:07松本21:20〜22:18信濃大町

博多駅で中溝先生、残留部員の見送りを受け出発。信濃大町駅にてステーションビバーク。

12月26日 雪 5:00起床6:00出発〜6:25鹿島山荘6:55〜14:10JP手前(T.S.)

タクシーで鹿島山荘へ。朝からかなり雪が降っていたが、最近までほとんど降雪がなかったと運転手から説明を受ける。鹿島山荘で計画書を出しにいくと、お茶と野沢菜を出していただき、さらに荷物も預かっていただけることになった。また、今冬はまだ誰も取り付いていなく、自分たちが最初に東尾根に取り付くパーティだとわかった。ある程度、明るくなったところで出発する。
鹿島山荘から少し行くと堰堤に突き当たった。ここから右の急斜面を登る。積雪が少なくステップをつくろうとして蹴り込むと、岩やら土やら出てきて滑りやすく、登りづらい。急登を終えたところに看板があり、ここからは尾根上で傾斜がゆるくなる。しばらく行くと、爺ヶ岳東尾根上に出た。ここからは積雪の少なさのせいで、かなりの藪漕ぎを要求されることとなった。時々出てくる赤布が自分たちの届きそうにない位置に付けられていることからも積雪の少なさを実感。この藪の中、一体どこにテントを張ればいいんだろう、と考えながら進んでいると、JP手前にかろうじてテントが張れそうなポイントに着く。藪の状況からここから先、進んでもテントが張れるポイントがあるという確信が持てなかったので、ここにザックをおいて偵察に行き、テントが張れそうな所がなければ、ここにテントを張ろうという判断を下す。30分くらい先まで行ってみるが、やはりテントが張れる場所はなく、最初に決めたところをなんとか整地してテントを張る。

12月27日 雪 4:00起床6:35出発〜JP〜14:10P3付近(T.S.)

雪の中出発。昨日偵察を終えた地点からラッセル開始。途中でラッセルがひどくなり、わかんを装着する。この日はひたすら藪の中のラッセルに終始。股上から胸までのラッセルでまったくペース上がらず。

12月28日 雪のち晴れ 4:00起床6:30出発〜10:48P2〜14:05P1(T.S.)

今日もラッセルから始まった。股上から胸までのラッセル。ただ藪が少なくなってきたのが救いだ。P2直下で2人組のパーティが追いついてきた。爺ヶ岳までアタックするのだという。以後、5人でラッセルをして進むことになる。P2からのナイフリッジは思ったほどたいしたことはなく、視界も良かったので、ノーザイルで行くことにした。ナイフリッジが終わるあたりから、再び、果てしないラッセルが始まった。特にP1手前の急登のラッセルはしんどかった。2人組のパーティは時間切れでP1で引き返していった。我々はP1付近にテント張る。

12月29日 雪のち暴風雪 4:00起床6:00出発〜8:34爺ヶ岳9:15〜10:17赤岩の頭〜11:00冷池山荘12:25〜14:25布引山〜15:55冷池山荘(B.C.)

今日もまたラッセルから始まった。出発後すぐに埼玉の2人パーティが追いついてきて、5人でのラッセルとなる。胸ぐらいのラッセル。爺ヶ岳では写真をとったりして5人で成功を喜ぶ。埼玉のパーティは往路を引き返すとのことで、ここで別れることとなる。我々はわかんからアイゼンに履き替えて、出発。黒部側の斜面をトラバースして冷池山荘に向かう。途中で赤岩尾根下降点となる赤岩の頭を確認しておく。冷池山荘到着後、時間があったので、テントにアタック装備以外のものを放り込んで、鹿島槍に向かうことにした。小屋からはトレースが残っていたので、割とスムーズに進めた。ただ、布引山の登りに入るころから徐々に天候が悪化し視界も悪くなってきた。赤旗を立てながら慎重に進むが、布引山に着いたときには猛烈な吹雪となっており、やむなく撤退することにした。行きで立てていった赤旗に助けられながら、B.Cまで戻る。この日の天気図は、2つ玉低気圧であった

12月30日 うす曇り(強風) 5:00起床8:00出発準備完了〜9:40出発断念〜12:00出発〜15:50鹿島槍〜18:00B.C.

夜中に大雪のためテントが潰されそうになり、2回ほど雪かきする。昼から冬型が弱まるとのことから昼前くらいから出発することにして朝食後待機していたが、八時くらいで天候が良くなってきたので、予定より早く出発することにする。しかし、千先が足が冷たくて動けないというので、やむをえずアタックは中止し、柿原と冷乗越までトレースを付けに行く。帰ってくると、足の状態が良くなったというので、再びアタックに出ることにする。20分ほどで小屋泊の2人パーティに追いつき、ラッセルを交代する。昨日のトレースは完全に消えていて布引山の登り口までは、終始胸くらいのラッセルであった。ラッセルをしながら、時間的に厳しいかもしれないと思ったが、行ける所まで行っておこうとの考えから進むことにした。布引山の登り口からは吹きさらしの斜面でラッセルはなくなった。強風、地吹雪の中を進み、4時前に鹿島槍のピークに立った。2人パーティもほぼ同時にピークに立ち、お互いに登頂を喜ぶ。ただ、時間的に余裕がなかったので写真を撮ってまもなく下山を開始する。なんとか暗くなる前に布引山を降りきる事が出来た。B.C.に着くころにはすっかり暗くなっていた。

12月31日 雪 5:20起床8:50出発〜14:00西股出合〜15:00大谷原

20分ほど寝坊する。出発前に柿原がストック2本を紛失した事に気付く。30分以上テント付近を捜索するが、結局見つからず諦めて出発する。赤岩の頭でハーネス、アイゼンを装着する。小屋泊の2人パーティが先行して、すでに下降を開始していた。見た感じではここからの下降は急峻で厳しい感じがしたが、思ったほどたいした事はなかった。ただし急ではあったので、3ピッチほどスタカットで降りる。あとは何の問題のない尾根で、まもなく下からパーティが上がってきて、ラッセルの心配もなくなる。高千穂平あたりまで降りる頃には、続々と登山者が上がってきてトレースがしっかり出来あがっていた。後はひたすらトレース上を何度もこけながら下っていき、夕方に大谷原に着き合宿終了。

全体の反省

C.L. 大山千聡

○総括
 今回の合宿は好天やトレースに助けられて成功したものではなく、自分達の力で達成できたものだと思う。爺ヶ岳までの果てしないラッセル、たった1日の好天など、「冬山」を体感できる内容であったと思う。生活技術に問題はあったが、今後の山行で改善していってもらいたい。また、ルートの性格上、アイゼンワークやザイルワークが要求される局面が少なかった。今後はこれをステップにして、技術的難度の高いルートにも挑戦していって欲しい。

○反省
・朝の出発が遅かった。
起床から出発まで2時間以上かかっている。早くやろうという意識を持とう。

・柿原がストックを紛失した。
29日の大雪で埋没、行方不明になった。自分の装備管理をしっかりと行うとともに、テント外に置く装備については全員で、その場所の確認をしておくくらいの慎重さが必要。

・赤旗が足りなかった。
29日のアタックの際、布引山に着いた時点で、赤旗10本を使い切った状態であった。今回の場合、20本は必要であったと思う。今回に限らず赤旗についてはもっと多く持って行っていいように思う。

・大山が頬に凍傷を負った。
30日の鹿島槍アタック時の強風が直接的原因だと思われる。目出帽はしていたが、隙間から風が入りこんでやられた。ただ、この日の強風がすべての原因ではなく、前日の吹雪やそれまでの行動中にもダメージがあったと思われる。しかし、一日中、目出帽をしっぱなしで、その兆候に気づかなかった。毎日、頬の状態を確認しておけば、事前に対策を考えることが出来たはずである。頬に限らず、凍傷になりやすい箇所については毎日、状態の確認をするくらいのことが必要だと思う。

・千先が29日の鹿島槍アタックの際、ゴーグルを持ってこなかった。
リーダーの指示不足。アタック時の装備はリーダーが出発時に口頭で確認していたが、事前にアタック装備表をつくっておいたほうが確実。

・30日の出発が遅れた件について
30日に千先の足が冷たくなったことが原因で出発が遅れることになった。それは朝食後のアタック待機時に、足が冷えてしまったことが原因であった。この場合、待機時に足を温めるなどの対処しておけば、問題なかったと思われる。このケースに限らず、どこか調子が悪くなってきた場合には、すぐにメンバーに伝えて対処するのが望ましい。

個人感想・反省

1年 柿原秀俊

 初めての冬山は、得ることが非常に多かった。反面、失敗したことも多かった。これらは、以後改善できるように原因を確認し対策を立てて次回の山行につなげたい。ただ、夏山にも通じる失敗があった。ことはよく反省しなければならないと思う。以下に今回の失敗と自分なりに考えたその対策を書く。

・ストックの紛失
29日:山荘到着後、ザックを下ろし、その横に(テントの前)立てる。夜、ピッケルとワカンは埋まりそうになっているのに気づき、雪の上に立てなおす。このときストックのことは忘れていた。30日:ピッケルとワカンを使う。このときにはすでにストックは見えなかった。31日:ストックがないことに気づく。
結局、31日の朝ストックを探し回って、出発が大幅に遅れることとなってしまった。中溝先生から、テントに入る前に場所の確認を、という意見をいただいた。習慣づけたい。

・赤旗を忘れたこと
大町のホームで忘れたから良かったものの、他の場所で忘れていたら困ったことになっていた。ストックの件にも言えることだが、移動中だけでなく、到着時にも装備の確認をするように習慣づけたい。

・二つ玉低気圧の発生を予測できなかったこと
28日の夕方とった天気図(千先)を見て、全体的に27日分と大きな変化がなかったことから、29日も天気はもつのではないかと考えた。28日の天気図と27日の天気図の違いで目を引いたのは南西諸島の沖で発生した停滞前線だった。この前線を見て、この後気圧の谷がどう天気に影響するか、という点に注意がいってしまった。全体として不安定な気圧配置だったので、どこで低気圧が発生してもおかしくなかったのに、日本海の等圧線のふくらみに注意がいかなかった。二つ玉低気圧の発生は予測が難しいが、今回の経験を今後の予測に生かしていきたい。

・しゃりバテ
行動による疲れと、空気の乾燥による喉の渇きから、休憩時間に紅茶だけのみ、エッセンを食べずに過ごすことが多かった。おそらくこれによって29日のアタック中,30日のアタックからの帰りにバテた。特に29日のアタック時は、ペースが落ちたことによって、パーティーに迷惑をかけてしまった。春までに、のどが渇いていても食べられるようなおかずを研究しておきたい。あとは、のどが渇いていても先にエッセンを口に入れる習慣をつけていきたい。

・朝の準備
毎朝、テントから出るのが最後だった。朝食に関連する共同装備を多くもっていたのも原因の一つだった。しかし、それは初めからわかっていたことだったので、他の人より急ぐなど、それなりの行動をとるべきだった。合宿準備の段階でこのことを考慮したパッキングを考えておくべきだったかもしれない。パッキングの速さについては永遠の課題なので少しずつ改良していきたい。

1年 千先治樹

○革靴足冷え事件
30日の鹿島槍アタックについて。出発準備後、明かりを待つために2時間ほどテントで待機することになった。いざ出発となると、足が冷たくてどうしようもなくこのまま上に行ったら危ないと感じるほどだった。新しい靴下に履き替えたり、指を動かしたりしたが回復せず、一度はアタック断念ということになった。二人が下山トレースづけをしている間にだいぶ回復したので、再び出発することになった。
原因としては、靴の性能が高くなかった、靴の管理方法が悪かった(夜はビニール袋にくるんでシュラフに入れた)、ということもあるが、後から考えると単に待機中は動かないから足が冷える一方だったこと、足の感覚・状態と行動を合わせた判断が出来なかったこと、が問題だったのではないかと思う。今回は8時になったら出発と決めていたのであるから、登山靴を脱いで直前まで足を暖めていれば問題なかったと思われる。
今後の対策としては、待機のときは場合によっては登山靴を脱ぐこと、夜は雪をきちんと落とした上で袋にいれずに直接シュラフに入れること、靴下の管理(履き替える、乾かす)に気をつけること、としたい。

○大山先輩激怒事件
入山日27日の最後、天場探しに偵察に行くとき、先行の大山先輩に追いつこうとせずゆっくりと歩いていたため、「(そんなに遅かったら)来る意味ないやん!」と怒られた。先輩が怒るのは余程のことなので、自分の行いが恥ずかしくなった。一応の天場が見つかっていたことで気が緩み、先に進もうという意志が足りなかった。
今回はメンタルの問題は特になかったが、状況が厳しいと諍いが起きることもあるかもしれない。そういったメンタル面での課題を調べていきたい。

○ラッセル・歩行
自分としてはラッセルは頑張ったつもりである。しかし午後になるとばててしまいスピードが遅くなったこと、また先頭なら頑張るけど二番手、三番手になると気が緩んでしまいスピードが出ないということがあった。
アイゼンについては海岸周りで練習しているので問題なかった。わかんは練習のしようがないので仕方ないが、今回使用した2本締めのわかんは靴が偏ってしまいよくないと思った。歩行は一歩一歩注意したが、それでも転んだりよろけたりすることがあった。難度の高いルートに挑むために、バランスよく歩けるようになりたいと思う。

○生活技術
水作り、調理は大分手際よく出来た。天気図の書き取りは出来たが、等圧線記入と予測が出来なかった。シュラフの湿り・凍結は防げなかった。朝の出発準備は、テント担当だったため頑張っても早く出来なかった。

今後はザイルを使う難度の高いルートにも対応できるように練習したい。また来年度先輩方が引退したあとも上級生として新入生を率いていけるように努力したい。ともかく、冬山合宿が成功して本当に嬉しかった。頂上まで導いてくれた大山先輩と、共に頑張った柿原君に深く感謝します。

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