2004(平成16)年度冬山合宿報告(アタック隊)
文責:高田
○山域:北アルプス爺ヶ岳東尾根
○期間:2004年12月29日〜2005年1月1日(実動3日、移動1日)
○参加者:高田広崇(4年、C.L.)、佐藤大介(1年)

12月29日 博多 16:43[ひかり376]⇒ 大阪 21:43[急行ちくま]⇒

中溝先生、吉田さん、残留部員に見送られて博多を出発。
完全な季節列車になったちくまの乗客のほとんどは山ヤであった。天気図は二つ玉。

12月30日 (曇のち雪、無風)
⇒ 松本 ⇒704 信濃大町 ⇒[タクシー]⇒740 鹿島 815→1400 J.P. →1600 P3 →1620 P3の少し先(B.C.)

乗り換え予定のムーンライト信州が大幅に遅れていて、始発列車で大町入りとなった。大町駅で計画書を提出。明日明後日は荒れると言われる。高知から来たというパーティーに誘われ一緒にタクシーに乗る。六人パーティーで、一人は山口大山岳部のOBだった。
鹿島山荘の前で出発用意。計画書を鹿島山荘に出し、デポ預かってもらう。聞けば、縦走隊の荷物もあった。今年は雪が遅く、2、3日前までは積っていなかったそうだ。小雪の中、出発。
トレースがあったので、その跡をついてゆくと、失敗。土の急斜面に出くわしたり、木に邪魔されながら何とか尾根に出る。下ってくるパーティーもいる。藪がすごく、時間切れとのこと。先行パーティーがいるし、下ってくる人もいるので、トレースはばっちり。ただ、二人とも赤旗やスコップが木に引っかかり、苦戦。
三回目の休憩のとき、赤旗がないことに気付く。高田が戻って、探すが、あきらめる。30mロス。大介を前にしたのが裏目に出た。
J.P.を過ぎたあたりで、下界が見えるようになってくる。ここらで雪がけっこう降ってくる。P3の登り、笹が邪魔だ。P3はテントが張れるとは言いがたい状況。まだ木がかなり出ている。もう少し先のコルに期待して、進む。コルの少し先の木と木の間を整地して幕営。大雪が降ったら雪かきが大変そうなところ。1720収容完了。整地に手間取った。夜は雪も止み、大町の夜景がきれい。
22時の天気図を取るつもりだったが取り損ねた。

12月31日 (曇のち雪) 4:30起床
B.C. 620→ P2 →920 P1 940→1204 中央峰 1215→ P1 1251→1330 P2 →1415 B.C.

起床は高田だったが、30分寝坊する。用意して、出発。アイゼン装着でワカンは置いていく。直前に高知パーティーが通る。昨日は縦走と言っていたが、アタックに変更したらしい。すぐ先行パーティーに追いつく。ラッセルは腰下くらい、追いついてから自分らも加わる。そのうちP2の先でテントを張っていたパーティーも加わり、総勢12人。こりゃ多いな、と思っていたら、P1に着くころにはさらに増える。30人くらいか?P2〜P1のナイフエッジはノーザイルで問題なかった。P1で休憩したが、風が強く、視界もあまりない。雪も降ってる。P1はふきっさらしで雪は浅かったが、またラッセル。P1から先は時間がないと引き返すパーティーもいて、登頂は20人ほど。P1から山頂が意外に長かった。最後の斜面は岩が出ていて、アイゼンが利きにくかった。
山頂は風・雪が強く、視界もほとんどない。早々に撤収。トレースは消え始めていた。他のパーティーの赤旗が役に立った。P2で休憩を入れる。風は弱くなってきたが、雪がすごい。テントは案の定、雪に包まれていた。周りに溝を掘る。

1月1日 (雪のち曇) 4:00起床
B.C. 732→ P3 → J.P. 1040→1422 鹿島 ⇒[タクシー]⇒ 信濃大町 ⇒ 松本

夜中、風がすごかった。起きてみると、テントにはかなり雪が積っている。外をのぞくと、雪で視界がなく、明るくなるまでは行動できそうにない。朝食をとり、パッキングしつつ待機。明るくなってきた630から撤収準備。まずは雪かきから。
ワカンで出発。すぐに前の3人パーティー(自分らより少し下に幕営)に追いつき、一緒にラッセル。ただ、木の間にはまったり、思うようにスピードが上がらない。P3まで一時間弱かかったと思う。P3の下りで登ってくるパーティーがいて、助かる。このあたりから雪も止み、視界も良くなる。やはり、入山よりは木々が減っているように思う。あとはトレースをたどるだけ…だが、雪の上に笹が出ているところがあり、非常にすべって苦戦。樹林帯に入ってもペース上がらず。途中で赤旗を回収。14時過ぎに鹿島山荘に到着した。
鹿島山荘ではお茶とお菓子をご馳走になり、電話も貸していただく。松村山岳会会長から年賀状が来ていた。タクシーが来るまで話込む。
すかいらーくで一夜を明かし、西焼津まで大介と18きっぷ。高田はムーンライト九州を使い帰福。世は正月だった。

個人反省文

C.L. 高田広崇

○全体的に
思ったほど荒れはしなかったが、全体的に天候が良いとは言えない中、予定通りに行動を消化できたのは、同時に登っているパーティーが多かったからであろう。
また、冬山で重要な行動判断についても、他のパーティーが動いているからと、安易に考えてしまっている部分があった。確かに入山パーティーが多い時と少ない時では判断が違うだろうが、なんとなくではなく、根拠を持って判断しないといけない。
ザイルを出す場面もなく、技術的には楽な雪山であった。次回は細い雪稜など、技術的要素の求められる山行をしてほしい。
○生活
31日朝の寝坊(起床:高田)は不注意だった。前日が寝不足だったということはあるが…
○幕営地
吹き溜まりだったかも。1日朝はかなりの雪がテントに積っていた。ただ、P3到着が16時すぎと遅く、選択の余地がなかった。もっと時間に余裕をもって幕営地選定をすべき。
○食糧
重量とペミカンについては今回は再考の余地があったのでは。
○行動
自分が赤旗を紛失した。下部の樹林帯で木に引っかかり落ちたと思われる。自分の注意不足。今回は同時に登るパーティーが多く、また視界も極端に悪くはなかったので、赤旗なしでも行動できたが、もし入山しているパーティーが少なく視界が悪かったら、致命的だったはずだ。赤旗はザックの側面にさしていた。大介がうしろだったならザックから落とした時に気がついたかもしれない。赤旗が長すぎたのも原因の一つであろう。適切な長さを考える必要がある。
ナイフエッジはザイルは使わなかった。あそこは不要だろう。
アタックは、P1の時点で時間がかかっていたが、トレースのつき具合などから、可能と判断した。
○装備
やはり、アイゼンのスノープレートはあったほうがいい。
○個人感想
初めて冬の山頂に立つことができて、素直にうれしかった。2泊3日でもあったし、少々物足りなさは残ったが、思い出に残る冬山だった。また、大介も初めてながら、持ち前の根気でよくがんばったと思う。

1年 佐藤大介

今回の冬山は、予定通り2泊3日で登頂し、下山することができた。しかし、個人的には、成功したと喜んでいられることばかりではなく、反省すべき点が多々あった(むしろ反省点のほうが多い)。以下にその反省点をいくつか書く。

これらが主なものである。山頂に立てたのは、他のパーティーがいたおかげだと思う。本当にお世話になったと思う。感謝しています。

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