2005年度新歓合宿報告
文責:柿原秀俊
○山域:大崩山群
○期間:2005/04/29/Fri−2004/05/02/Mon 実働3日移動1日
○参加者:CL柿原秀俊(2年)・SL牧山弘毅(2年)・佐藤大介(2年)・荒木直人(1年)・石原耕一(1年)

4/29
天神0825=1320延岡1420=1515大崩山登山口1520−1545大崩山荘1553−1810湧塚分岐点1820−1754吐野(T.S.)

朝は集合時刻の10分前までに全員集合。千先・坂根に見送られて天神BCを出発する。延岡へは渋滞のため約1時間遅れで到着する。暗くなるまでにT.S.に着かないことを心配して、早々にタクシーを呼んで延岡を発つ。登山口付近の林道に登山客の車が列をなしているのを見て少々驚く。大崩山荘までは少々蒸し暑く、人が多いが、快適な道を行く。合宿を通して基本的にオーダーは牧山−石原−佐藤−荒木−柿原とした。大崩山荘・湧塚分岐点では渡渉点の偵察を兼ねて休憩をとる。山荘から吐野までは数ヶ所危険箇所があったが、ロープ等が整備されており問題なく通過した。吐野手前で道が河原に下りたところをT.S.とする。この地点は吐野のすぐ近くだと思われたが、念のため柿原・佐藤が偵察に出る。結果吐野のすぐ下流であることがわかった。この日は雨や増水の心配もなかったので、河原にテントを張った。この日は4時の天気図はとれなかったが、ラジオの天気予報で明日昼過ぎから天気が崩れる予報だったので、早く出発することのほうが優先と考え、10時の天気図はとらなかった。夜は大荷物だった鍋を平らげて就寝した。

4/30
T.S.0455−三里河原0550−中瀬松谷出合0720―0925鹿納山0945−1110中瀬松谷出合1125−1225三里河原1238−1314吐野1340−1507大崩山荘(T.S.)

4:00起床。4:40には準備ができるが、暗く視界が悪いためしばらく待機する。T.S.から中瀬松谷出合(エアリアマップでは"吐合")までは河原歩き・高巻き・渡渉を幾度となく繰り返す。三里河原付近で鹿の1頭丸まる分の白骨を見つける(CLはこのとき写真を撮らなかったことを後で後悔した)。この間ルートと呼べるものはほとんどなく、河原沿いに時々現れるテープを頼りに進むが、幾度かルートを見失い時間をロスした。途中、三里河原(モチダ谷出合)と中瀬松谷出合の中ほどで休憩をとる。このとき石原が軽い靴擦れをおこしていたので、テーピングで処置をする。また、そこから少し進んだところでテントを2張はっている人たちに出会う。中瀬松谷出合からは始めは開けた谷を進み、やがて傾斜のきついガレた小さな谷に変わる。ここは柿原がトップで登る。浮石に少々手こずるが何とか登りきる。稜線に出てから山頂まではすぐだったが、山頂に上がる巻き道で予想外に時間を消費してしまった。山頂は狭いにもかかわらず鹿川や見立方面からの人が多く、やや残念であった。本来ならば360度の展望が望めるはずであったが、人垣で180度しか望めず、さらに人が増えそうだったので早々に下山を開始する。登りで苦戦していたので、一年生は山頂とガレ場の下りにやや不安を抱いていたようであったが、案外うまく下る。ガレ場を出てからは行き同様、河原歩き・渡渉・高巻きを繰り返して下る。行きより迷う回数が少なく、予想よりT.S.に早く帰り着いた。途中、九大OBの夫婦と出会う。午前中は快晴であったが、このころから雲が増え始め天候が怪しくなってきたので、T.S.では到着後すぐ撤収を開始し、小休止をとった後出発する。山荘までは比較的スムーズに下れた。この日の天気図では夜から天候が崩れそうであったので、明日の行動は川の増水具合を見て決め、増水している場合は二枚ダキコースに変更することに決める。夜はタコ・イカ・カニ・ウサギ(ウインナー製)まで入った豪華なスープに舌鼓をうった。

5/1
T.S.0600−0628大崩登山口0635−0713林道途中0730−0801大崩登山口0811―0905美人の湯1705=1820延岡

3:00頃からやや強い雨が降り出す。4:00起床。4:50出発準備完了。明るくなるまで待機する。偵察の結果、川は増水していなかったが、雨の降り始めが遅かったこと、昨日の様子(コースタイム・1年生)から予定のルートは危険と考え、二枚ダキコースに変更する。撤収して出発。このとき荒木が腹の不調を訴えるが、行動には問題ないとのことなので、調子が悪いときはすぐ言うようにとだけ伝える。大崩登山口までは快適に下る。大崩登山口に不要な荷物をデポし、フライをかけて出発する。途中、林道の一部が数箇所崩れていたが、問題ないと判断し、進む。二枚ダキ登山口と大崩登山口の中間付近で、林道が崩れてなくなっていた。柿原・佐藤でしばらく先まで偵察に行くが、林道と呼べる道はなく、雨で土砂崩れがおきつつあったので、コースタイム・危険を考え大崩アタックを中止する。そのまま大崩登山口で荷物を回収し、美人の湯へ下山した。すでに朝のバスは出発していたので、夕方まで温泉でゆっくりする。昼食はカレーを作り、夜は延岡駅で過ごした。

5/2
延岡0750=1215天神

朝一のバスで天神へ。天神で解散した。

全体の反省

個人感想・反省

2年(CL) 柿原秀俊

主目標であった大崩山に登れなかったことは残念であったが、悪路の歩行・展望・雨天時の行動が体験できた点では一年生にとっては有意義な山行だったと思う。今後は今回見送った体力を要する山行を経験してほしい。2年生はルートファインディングの練習にはなったと思う。個人的にはCLとしての判断に戸惑うことも多かったが、いい経験となった。3日間トップをやってくれた牧山君、冷静に判断の手助けをしてくれた佐藤君には感謝します。また、計画・準備等サポートしてくれた千先君・坂根君・1年生・先輩方ありがとうございました。

2年(SL) 牧山弘毅

2年 佐藤大介

今年の新歓合宿は、阿蘇ではなく、大崩に出かけたわけだが、山を知るという点では、山域の選定は良かったと思う。ただ、自分に自信がないせいで毎年続いていた阿蘇は行きたくないとごねたことは情けなく思う。自信があろうがなかろうが、山行中にそのような危険な箇所を通過せざるを得ない場合も多くあるわけだから、今後は自分の技術をさらに向上させ、新人に的確に指示できるようになってから、夏山に臨みたい。
山行自体は、概ね天気も良く、また久々の山歩きだったので、楽しく過ごせた。ただ、そのために緊張感を少し欠いていたように思うので、その点は気を引き締めたい。
3日目の行動判断については、間違っていなかったと考えている。初心者を連れて、情報が全くない箇所に進み、身動きが取れなくなるようなことになるよりは、引き返したほうがいい。ただ、このことも自分に十分な実力があれば、カバーできたのではないかとも思う。要するにリーダーシップの不足であった。後日、林道も崩壊してはいるが、ちゃんと登れる道であると聞いたときには、ショックを受けた。

1年 荒木直人

 今回の新歓合宿は僕にとってほぼ1年ぶりの登山で体力的に心配がありました。けど、パッキングの仕方や歩き方は忘れていなかったし、荷物が軽かったので遅れずについて行けました。というより、4日間ずっとナチュラルハイの状態でした。
 実際に山に入ってからは、高校時代の山岳部と同じ要領で出来ることもありましたが、初めて知るような大学山岳部・九大山岳部ならではのことが沢山あって、驚きの連続でした。先輩達にとってはまだまだ序の口なのだろうと思いますが、新歓合宿で激しく洗礼を受けた感がありました。
 道無き道を歩いたり、急斜面を攀じったり、山岳部的な調理をしている時、気が付けばいつの間にか夢中になって楽しんでいて、変な話ですが、やっぱり山岳部は自分が所属しているべきところなんだなぁ、と思いました。

1年 石原耕一

この合宿を終えた第一印象として心に残ったことは、自分が以下に山について無知であるかに気付かされた事でした。今まで家族や中学・高校時代に所属していたアウトドア部で登った山はきれいに整備されていた登山道を登るものでありましたが、大学の山岳部では「こんなところを登るのか!」と驚かされたり、尻込みしてしまう場面もありました。
まず一日目は半日以上かけて大崩山登山口に着き約二時間かけてB.C.にたどり着いた時、生まれて初めて重装ザックを背負ってあまり整備されてない登山道を登った後の感想としては「疲れた!」の一言でした。二日目はB.C.から鹿納山へアタックでしたが登山道は所々途切れているような感じで、辛うじて枝についている色テープを目印に進んでいきました。この登山には本当に驚きの一言でした。とどめは最後の尾根にでる手前のガレ場登りでした。あまりに急で登りながら「下るときは大丈夫だろうか?」という言葉が心を占領するほどで今でもよく登れたなあと感心するほどです。ただ残念だったのは下るときの心配をしすぎて山頂の景色を楽しめなかったことです。いざ降りてみると結構楽で楽しかったですから山頂の景色をもう少し楽しみたかったと後悔しています。さすがにB.C.にたどり着いた時は足が疲れ果てており、そこからさらにその日の目標のB.C.についた時は足腰にガタがきていました。幸い筋肉痛にはなりませんでしたが疲労は回復しませんでした。三日目は早朝から雨でした。雨に中の登山もまた生まれて初めてで、個人装備でカッパとして持ってきたのはポンチョだったので、ある程度なら雨に耐えられるものの運悪く土砂降りで足元が完全にぬれてしまい歩くのがおっくうになってしまいました。登り始めて30分位たったとき登山道が土砂崩れで陥没してしまっている場所に出くわし、その先もやばいってことで完全に尻込みしてしまいC.L.も自分の意見を参考にしてくれて下山となりましたが、この時自分の身体と精神の弱さ、考えの甘さに後悔と反省の念を抱かずにはいられませんでした。その後祝子川温泉につかり延岡で野宿して帰りました。
この合宿で山に対する認識が塗り替えられました。福岡県の登山道がいかに整備されていて深く険しくないことです。これから鹿納山のような山を上ることが普通だといえるような身体、精神力を培っていこうと思います。
P.S.帰宅した次の日(五月三日)に両親が若杉山に行くというのでついていきました。交通手段は列車だけでしたが登山道があまりにも整備されていて、合宿の時と比べ物にならずハイキングに行ったような気分でした。

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