2008 北アルプス合宿報告書

 

◇行動記録◇

 

9/17()  晴れ

 

《上高地班》    

夜行バスを降りた後、電車・バスを乗り継ぎ上高地へ。立川にとっては初めての、荒木先輩・竹原先輩・北島にとっては1年振りとなる避暑地・上高地。ここから見えるアルプスの景色はやはり良かった。足取り軽やかに出発。ほとんど平地であるため、全員が余裕を持って横尾へ着けた。テントを張り、作るは恒例の『一人一品鍋』。立川の持ってきたマカロニが大部分を占めてしまった気もするが、マッシュルーム・鶉の卵・水菜など、多様な具が並んだ。このとき、標準装備のハムやエリンギを入れ忘れていたという衝撃の事実に気づくのは、まだ先のお話。(北島)

 

《新穂高温泉班》

13:17新穂高温泉13:5415:30白出沢出合〜16:45滝谷出合16:5517:35槍平小屋

待ちに待った北アルプス夏縦走合宿。今年は新入部員が(例年に比べ)大勢入ったことで、二班に分かれての入山となった。バスは予定よりも数分遅れて新穂高温泉に到着。各々急いで入山準備に取り掛かる。入山届の提出。下山用着替えは無料温泉の前のロッカーに。土産物店の横にある蛇口をひねり水補給。

 入山。とはいえしかし、1時間少々舗装された道が続く。左手に沢を、その向こうに北アの荘厳な山容を見ながら、以後の行程に思いをはせる。途中穂高平避難小屋(無人と思われる)の前で一服、道の反対側には牛たちが寝転ぶ。

 白出沢出合、滝谷出合を通り、この日は槍平小屋のキャンプ場にテントを張る。白出沢出合から槍平小屋まで少し登りが続くが、傾斜が緩やかでかつ整備されているため歩きやすい。キャンプ場は30M四方ほどの大きさのものが2面。トイレ、水場に近し。日が沈むと暗いため、炊いている米をひっくり返さないように注意。

キャンプ場に着いた途端に小雨が降り出すが、気にせず外で炊事、会食。メニュー:一人一品キムチ雑炊。4人用のテントに4人で入り、本日の行程終了。(寺司)

 

 

 

 

9/18()  曇りのち雨

 

《上高地班》

起床後、ミートスパを手早く胃の中に収め、キャンプを撤収。一直線に槍ヶ岳を目指す。去年、寺司とともに駆け下りた懐かしい道を登る。長い登りが続き、北島が愚痴り始める。まったく面倒なやつだ。途中PVを撮影したら多少気分が乗ったようだ。単純なやつだ。

それでも登りはまだ続く。長期合宿が初めてである立川もまだまだバテる様子はない。頼もしい。予定の時間を2時間近く過ぎ、槍沢ロッジにてようやく穂高班と合流。悪天候の中全員で槍ヶ岳山頂を目指した。クライミングに近い要領で岩場を超え、ようやくたどり着いた山頂で待ち受けていたものは、360゜の霧という絶景。残念。テン場へ戻った後は雨の中テント設営。びしょ濡れのテントへ入り、夕食には魚をおかずにお茶漬けをいただく。明日に向けて就寝。(北島)

 

《新穂高温泉班》

2:47起床4:15出発〜7:45南岳小屋8:059:16中岳〜10:05大喰岳〜10:50槍ヶ岳山荘

予定より10分ほど早く起床。本日の急登‘南岳新道’を考えて、朝飯はミートソーススパゲティ(これがエネルギーになる)。急いで荷物をまとめるも、そこはまだまだ1年生、予定よりも15分遅れての出発となる。

 キャンプ場を出て少しもしないうちに、前述した南岳新道に入る。ここは北アの急登の中でも5本の指に入るらしい。張り出した木の根と大きめの岩。鉄梯子。ちゃんと気をつけてさえいれば普通に歩ける道ではあるが、長い長い。

100M上がるごとにある、標高を記した板に元気づけられる。およそ半分を過ぎると、景色はがらりと一変する。森林限界。視界が広がる。ちょうどこの頃には辺りはすっかり明るくなって、振り返れば奥丸山、そして笠ヶ岳(らしきもの)が見える。道も先ほどまでの延々とした登りではなくなり、少しなだらかに、ちょっとしたピークも出てくる。最後は瓦礫を登り、南岳小屋へ。

 ‘ここは天国です’そんなことはない。天候は荒れ模様。小屋泊の方々は別として、僕らは現役山岳部。汗と雨にまみれた身体に吹き付ける風。寒い寒い。仕方がないので、トイレ小屋の壁で雨風をしのぐ。

 ここから槍ヶ岳山荘までは平坦な道が続くはず、いわゆる、宝満〜若杉縦走路の中の最も平坦な場所に近い平坦な道が続くはず。そんな淡い期待をもっていた、圓井CL以下4名。確かに、通常時であれば何ら苦と思わない縦走路なのかもしれない。しかし、先ほどまで4時間ぶっ続けの登りの後の足には、こたえる。名前がつくだけでも2つのピークを、さらにいくつかの隠れたピークを越える。ここの縦走路まで来てようやく、北アの荘厳な景色が広がった。およそ2時間半後ようやく槍が岳山荘に着く。

 それからおよそ2時間、上高地班を待ちながらのんびりと過ごす。(寺司)

 

 

 

 

9/19()

 

4:00起床5:40出発〜6:30千丈沢乗越〜9:43双六小屋10:2011:25双六岳〜13:00三俣蓮華岳〜13:50三俣小屋

予定通り起床したが、人数が増えたせいか出発に時間がかかる。槍ヶ岳山荘で、下山する荒木先輩と竹原さんに見送られ西鎌尾根へと進む。前日同様雨が降っていてがっかりしていたが、突然雨が止みガスが晴れだした。それまでは全く見えなかった西鎌尾根・笠ヶ岳・双六岳が見え、その景色の雄大さに感動した。

西鎌尾根の中盤くらいからまた雨が降り出し、寒さとアップダウンで体力を消耗したので、双六小屋で長めの休憩をとる。各々お腹を満たし、気合を入れなおして双六岳へと向かった。その後も雨が止む気配はなく、逆に台風の影響だろうか強さを増した。山頂の視界はゼロ。山頂で休憩を取ったものの、あまりにも寒かったので体が冷え切る前に出発した。

三俣蓮華岳までの道のりは厳しいものではなかったが、疲労のためか1名を除き足取りは重かった。三俣蓮華岳から三俣山荘までのコースタイムは30分となっていたが、なかなか着かずイライラした。夕食を食べ、今日も雨で終わるのかと思っているとガスが晴れ、鷲羽岳が夕日に染まりさらに虹までかかっていた。少し救われたような気持ちになった。                                 (圓井)

 

 

 

 

9/20()  晴れのち雨

 

2:50起床3:53出発〜4:50鷲羽岳5:067:00水晶小屋〜8:00水晶岳〜7:00水晶小屋〜10:30祖父岳〜11:30雲ノ平山荘〜14:30三俣山荘

午前3時に起床、4時ごろには三俣蓮華山荘を出発。この日は荷物を軽くしてザック3つに6人で行動するので交代で3年生、2年生と1年生で持つことにしました。
 暗い中をヘッドランプが足元を照らしながら進んでいき、夜が明けないうちに、まず鷲羽岳に到着。それまでザックを持っていた先輩方と自分たち1年生とが交代し、次に目指すワリモ岳に出発。そのときワリモ岳は雲が覆い隠して見えなかったのですが、朝の雲海を見れたことに皆感動しているようでした。

 ワリモ岳までの行程はきつい坂のない緩やかなものだったので朝が明ける前に到着。ワリモ分岐までの途中に水晶を発見。皆でしばらく休憩しながら水晶を捜していました。ワリモ分岐に到着後、ザックの担当をまた交代し、水晶岳を目指し出発。 

水晶岳は名前の通り行程の途中にはたくさんの水晶が転がっており、水晶岳は別名「黒岳」で名前の通り全体のほとんどが黒く、太陽に照らされて光っていました。水晶岳は標高2940mと高く、天気が良かったこともあって槍ヶ岳をはじめ多くの山が見えました。        水晶岳で休憩後、ザックの担当を交代して祖父岳出発。 

祖父岳では天気が崩れて悪くなり、雨が降ってとても寒かったです。次はひたすら下り坂であっという間にスイス庭園に着きました。スイス庭園は周りに見える山脈に多くの雪が残っていたのでとても雄大で綺麗なものでした。そこからはギリシャ庭園でゆっくりと休みをとり三俣蓮華に戻っていきました。
 夕食 ご飯、ポトフ、改良余地のある、あんかけのあん(立川)

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 合宿4日目。3時起床。朝食はチョコフレーク。低燃費男田中の残りは後日大食漢立川のガソリンとなった。この日は三俣山荘でデポ。3ペアに分れ、ザックにエッセン、水、非常缶だけ詰めて交互に持ち合いながら行動する。予報によると今日は晴れるらしい。久々に太陽を拝めるかも知れないという淡い期待を込めて出発。
 まず一気に500m近い高さを登り、日本百名山の一つ鷲羽岳山頂を目指す。延々と続く単調な道程に疲労が着実に増してゆく。我々6人のテンションも上がらない。それでも日の出を見られる可能性が我々を突き動かす。しかし登頂するも結局日の出は拝めず。気を取り直して、続いてはこちらも百名山の一つ、水晶を採取することができるその名も水晶岳(別名黒岳)へ。その途中、念願の太陽が久々に顔を出した。各々水晶も発見し、途中田中の放棄したエッセンに約3()の蟻が集るという事件を挟みながらも水晶小屋に、そして水晶岳山頂に到着。この頃には暖かい日差しが我々6人を祝福するように降り注いでいた。続いてはなだらかな山肌の祖父岳山頂、そして真のアルプスを彷彿とさせるような(そうでもないような)景観の広がるスイス庭園を経由して、本日の最終目的地である雲の平CS12時半頃到着。暫し休憩後1時半前に出発。地図が一年生に手渡され、彼らを先頭にして行きと異なる道から三俣山荘へ帰還。 
 この日は全体を通して難所も少なく、何よりも久々の好天に恵まれ快適な道行きとなった。この日の夕食はポトフ。上級生が腕を振るっただけあって美味。夜は甲斐持参の青汁を罰ゲームとする大富豪大会。結局全員が最低1回青汁の餌食となったが、意外と美味くあまり罰ゲームの意を為さないのであった。(田中)

 

 

 

9/21()

 

3:00起床4:20出発〜6:40黒部五郎小舎7:009:00黒部五郎岳〜10:30黒部五郎小舎〜13:09三俣蓮華岳〜(巻道)〜15:16双六小屋

この日は、朝からずっと雨が続き、非常に寒かった。朝食のあたたかいラーメンで、体を温めてから三俣山荘のキャンプ場を出発。夜のうちから続く雨と、冷えにより一昨日は下ってきたはずの道の上に雪渓ができていた。その光景にみなが驚きを隠せない様子であった。まだ暗い中、ライトで足場をしっかり確認しながら慎重にゆっくりとその雪渓を登っていく。1年生にとっては、初めての経験であったが、皆が無事にその雪渓を登りきった。 

黒部五郎小屋へは1回休憩を挟み、出発してから約2時間後に到着した。最低限の装備を持ち、それ以外を小屋の前におかせてもらい、小屋を40分後に出る。カールのほうから入り、黒部五郎岳山頂前の分岐で休憩。雨、風ともに強く、非常に寒かったことや景色がまったく見えなかったこともあり、山頂をスルーして稜線沿いを一気に通過する。そして黒部五郎小屋に戻る。

荷物をザックに入れて双六小屋を目指し出発。双六小屋に着くためには、また三俣蓮華岳を登らないといけない。それゆえしばらく登りが続き、部員の疲労もたまっていく。途中で、つくばハイキングクラブの創設者と名乗る方筆頭の御一行と出会い、立ち話を10分位。昔の山岳部のきつさに驚く。左手にはわずかだが、この日唯一といえる展望が広がっていた。登りで疲労がピークにきた立川、甲斐が山頂を前にバテてしまい、荷物を少し持ってもらう。やっとのことで山頂にたどり着いたが、1年生はかなりきつい様子だった。後は、巻道のルートから下って小屋へ到着。

早速テントを立て、中に入り、温まるためにお湯を沸かし紅茶を飲む。夕食はご飯とあったまるシチューだった。6人で一つのテントに入り、肩を寄せ合い温まりながらしばらく話をしていた。(甲斐

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合宿5日目。3時起床。朝食は棒ラーメン。田中が喰わなくても立川が喰う。前日はあれほど好天だったのだが、この日は朝から生憎の雨。レインウェアを着用しての行動を余儀なくされた。それでもめげずにテントの撤収作業の後420分頃出発。この日は下山を明日に早めるために予定を大幅に短縮。無謀にも本日以内に双六小屋を目指す。まず目指すは黒部五郎岳山頂。この日は悪天候に加えて夜通し降り続いた豪雨により道も悪い。通り道に大きな水溜りも多く、お陰で山靴の中まで浸水して靴下がビショビショで何とも気持ち悪い。そんなこんなで唯でさえ精神的に滅入っているというのに、途中幾つものんびりゆっくりコースと岩道ゴロゴロコースの分岐があるのは何かの嫌味なのか? どっちに行こうが結局苦痛なのは変わらない。
 イライラを抑えて黒部五郎小屋へ到着。ザックを空荷にして山頂を目指す。屋久島でも見られた現象ではあるが、普段何もない場所に急流ができている。自然の猛威を噛み締めながら、岩の多いゴツゴツした道を登って行きやっとのことで登頂。しかし当然景色も悪く、空も気も晴れぬまま再び起伏の多い岩道を下り小屋へ戻る。ここから本来明日の予定だったコースへ。続いては一昨日登頂した三俣蓮華岳山頂を再び目指す。突然降り出したり止んだり、山の天気は女心(?)のように変わりやすい。(この辺適当) 山靴もレインウェアも万能ではなく、どちらも次第に中まで浸み込んでくる。テント内での今夜が非常に憂鬱。登頂後は巻き道を通り双六小屋へ。 ♪何処まで 歩いても 終わりが見えない〜 (出典:レゾンデートル by ナイトメア) 途中同じく大学山岳部OBの人との談話を挟みながらどうにかこうにか到着、本日の行程終了。  
 前日と一変して、悪天候と悪路に加えかなりの長距離移動となったこの日、1年生のスタミナもかなり限界にまで達していたようだ。テントを張るのは本日で最後になることを祈りつつ、冷えた体を寄せ合って夕食のシチューを啜る。その後は食料実習の成果、片栗粉の餡かけを試すも湯の匙加減を誤り微妙な出来に。今日以上の疲労が予想される明日、せめて好天に恵まれること、そして無事下山できることを祈り冷気と雨の中眠りに就いた。                                  (田中)

 

 

 

9/22() 雨のち晴れ

 

3:00起床4:20出発〜5:30鏡平分れ5:508:00秩父平〜9:00抜戸岳〜10:40笠ヶ岳(山荘)11:4512:45抜戸岳〜14:00杓子平〜17:00(笠新道終)分れ〜17:45新穂高温泉

合宿最終日。さすがに合宿6日目ということもありテントの撤収は、素早く終えることができた。笠ヶ岳に向け雨の中出発する。立川の山靴の紐が切れ、鏡平分れで細引きにより応急処置をした。雲に覆われていた空も抜戸岳辺りまで来ると、たまに晴れ間が見えるようになり、僅かだが笠ヶ岳が見え気合が入る。しかし、そこから山頂までは非常に長く感じ、時計を何度も確認してしまった。

笠ヶ岳山荘に到着し、荷物を置いて山頂へと向かった。山頂はガスで覆われていて景色は見えなかったが、最後のピークを踏んだ達成感と疲労で座り込んでしまった。が、雨が降ってきたためすぐに撤退。山荘に戻り携帯の電波が入ったので、帰りの夜行バスを予約した。何度も掛けたが西鉄バスの予約センターにはつながらず、3席しか確保できなかった。    山荘を出発し、後はひたすら下るだけだった。下山し始めてから天気が本格的に回復し、何とも複雑な気分で杓子平を通過し、笠新道へと入った。最後の力を振り絞って約1000mを下った。途中、ハプニングもあったが無事に笠新道分れに着いた。1年生は下山した喜びで元気になるかと思われたが、全くその様子はなくぐったりとしていた。

下山した時間が遅かったので最寄のわさび平小屋に宿泊する予定だったが、下界に行きたいとの意見が大半だったので新穂高温泉へと向かう。運良く3分後に発車する最終バスに間に合い、高山駅に到着した。(圓井)

 

 

 

 

 

 

◇感想&反省◇

<圓井拓哉>

計画よりは1日短くはなったものの、予定通りのコースをこなし皆無事に下山できたことは当然のことながら、非常に良かったと思う。全体を通して天気が悪くなかなかハードな合宿となったが、1年生は北アルプスの雄大さに感動し、2年生は北アルプスの別顔を知り、各々新たな発見があったのではないかと思う。

個人的には3日目以降、下りで右膝に激痛が走るようになり、その痛さに耐えることで精一杯になってしまった。CLとして十分に役割を果たすことができず非常に情けない思いをした。しかし、そんな自分の分までもいろいろと頑張ってくれた2年生2人は大変頼もしく、来年はさらに充実した合宿ができそうである。

下山直後は、いくら山岳部員であっても来年もまた登りたいとは言えないものである。でも、きっと1年後、未熟な1年生を引き連れて登っているはずだ。

後期も冬山に向けて頑張ろう!

 

<北島光朗>

9/17 合宿が始まる。がんばらなくっちゃ。ちょっと憂鬱…

9/18 槍ヶ岳までの道のりがややきつい。帰りたくなってきた。立川が元気で悔しい。

9/19 荒木先輩と竹原先輩が帰られた。一緒に帰りたかったな。双六と三俣登ったらバテた。やっぱり重いのは苦手だ。というか気持ちの問題だろうか。

9/20 テントはそのままに空荷で鷲羽~水晶~雲ノ平。空荷なら楽勝♪絶景と虹のかかる夕焼け鷲羽を見て、山の魅力を再認識し始めた。が、○○庭園は全て期待はずれだった。1年生は皆疲れていたようで安心した。先輩としてどうなの。

9/21 雨の中黒部五郎へ。疲れはしなかったが雨はやっぱりキライ。双六に行き着くまでに1年生が皆バテていてまた安心した。何という利己心。ともかく甲斐までも疲れていたのにはびっくりした。田中よ、山に漫画など持ってくるな。

9/22 笠ヶ岳までの道のりが意外とだるかった。が、心が完全に山モードになっていたのでバテはしない。というか今日ほぼ下山だし。と思ってたらホントに下山した。温泉にラーメンにファミレスと、グダグダながら至福の時を過ごす。グダグダでも下界は天国だった。

今回の合宿も反省すべきコトは多かったが、何と言ってもやる気を家に忘れてきたことが一番いけなかった。そして1年生と完全に別テントで、交流がそんなに多く持てなかったように思えた。これからはチームワークをより深めていけたらと思う。

 

<寺司周平>

 生涯2度目の北アルプス。やはり、あの景色は絶品だ。

 いくつか反省点がある。個人的には、まだまだ‘後輩’意識が抜けていないということ。圓井先輩の存在に甘えて、勝手な行動をしてしまった。後輩のためにも、自分が責任ある行動をとらねばならない。雪渓に飛び込めるのも今年までだ。もうひとつ、読図が甘い。目の前に見えている地形が何であるのか、地図から読み取れていない。

このような自分の姿を見ることができたのは、いいことである。下山後数日たった今日であるが、明日の自分の成長を思い描く日々である。

今回感じたのはいくつかの反省と、昨年度に比べたいくつかの成長と。

 

<甲斐誠二>

今回の合宿は非常にたくさんの経験ができた。その中のひとつとして、体力不足を実感できた。屋久島合宿のときより重い装備で、長い期間の合宿であり、疲労がたまり、バテてしまうという不甲斐ない結果を招いてしまった。たまった疲れを、取り除くことや、疲れにくい登り方など、もっともっと工夫をしていかないといけないと思った。自分がこの合宿で一番悔しかったことは朝出発時間に間に合わなかったことである。朝4時に出発というのが多かったが、出発はいつも420分以降になってしまっていた。雨が降っていたということもあり、1年生の自分たちがテントから出てくるのが遅くなってしまったせいである。すぐにテントから出れる準備をしていて、朝食が済んだらすぐにテントから出るということを結局合宿中に一度もできなかった。チームで動くのであるから、集合時間にきちんと間に合うように動くという基本的なことがしっかりできるように気をつけていきたい。自分は始めての北アルプスで、そのスケールのでかさは衝撃的でした。3000メートル級の山々からの眺めは今までに見たこともないくらい壮大で圧倒されました。今回の合宿は学ぶことが多く、非常に充実した合宿でした。

 

 

<立川雄大>

今回の北アルプスの合宿では自分の経験不足が顕著に現れたと思います。
テントを立てたり、片付けたり、朝早く起きたり、その日のための行動のための準備が遅かったです。今回の北アルプスは雨が多く降りそのための防水対策も甘かったです。また山は標高が高いので気温が下界と比べるとかなり低くなると分かっていたにも関わらず、防寒対策も不十分で山頂や雨の降っている日や朝方などでひどく寒い思いをしました。
 一番決定的なのは食料、エッセンをほとんど持ってこなかったことでした。自分の嗜好品はレーズン一袋しか持って来なかったのですぐなくなってしまい、なくなってからは行動中はあまり食べずにいたので、バテてしまい、皆、特に先輩方にはとてもお世話になりました。そしてまた、合宿の途中で下山していった荒木先輩や竹原先輩のエッセンをもらったり、圓井先輩や北島先輩、寺司先輩に分けてもらい本当に助かりました。
 他にも山靴しか靴は持って来なかったために、下界に下りてから痛い思いをしたり、携帯電話の充電器を持ってこなかったので携帯の電池が切れると周りと連絡がとれなくなったりなどがありました。今度からはそういったことをバネにして山で少しでも痛い思い、辛い思い少なくして存分に登山を楽しめるようにしたいと思います。

<田中宏典>

感想:やっと終わった・・・以上。()

 
薄々嫌な予感はしていた。いや自覚はあった。九重、宝満、屋久島、どこに泊まっても雨、雨、雨。
そう、今までの合宿で一度もこの田中、雨に降られなかったことがないのである。言うなれば田中が参加した合宿は必ず雨になる。このままでは雨男のレッテルを貼られてしまい兼ねない。
いや今度の合宿こそ晴天に恵まれるに違いない、という希薄な期待を胸に抱き参加した今回の北アルプス縦走合宿。
少年の無垢なる願いはものの見事に打ち砕かれたのであった・・・orz。特に5日目(21)の双六小屋では本来の寒さと相まってテントの外に出るのも((((;゜Д゜)))ガクガクブルブルな状態に。
この田中と同じく合宿皆勤の甲斐誠二殿の名を変換すると快晴時となるため必然的に矛先は私に。
今合宿まで悪天候に見舞われて(して?)しまい、流石に今後の合宿は参加すべきであろうか否か少々悩んでいる所存である。
そして何よりも語らねばならぬのは合宿最終日の6日目(22)、屋久島の悲劇再びである。
木の幹の上を踏んではならぬというのはあれ程理解しているにもかかわらず何故足を置いてしまうのかというと、皮も剥け豆もつぶれてボロボロの状態である足の裏に2日前から痛んでいた付け根、更には突然痛み出した膝。
痛みが一つ消えたと思いきや別の場所が痛くなるという終わりなき負のスパイラルの末足が完全に麻痺してしまっていた。
最早ワラと化した足は自らの体重も支えきれず、言うことをきかなくなりそのまま決壊。
その後何とか下山できただけでも御の字であった。(下山後風呂の帰りに置き去りを食らうという後日談がある。)
取り敢えず何かと迷惑をかけてしまった部長には謝辞を述べねばなるまい。
そしてもう一つ、私田中宏典が今合宿で決して忘れてはならぬ、感謝せねばならぬ人がもう一人。
立川雄大殿である。田中がどんなに食べたくない時でも彼はいつも喜んで食べてくれた。
3
日目(19)、槍ヶ岳山荘の朝。私が雑煮の汁に苦戦していると横から「俺飲もうか?」と神の御加護が。
彼は「燃料が増えた」と喜びながら飲み干してくれた。
彼は4日目にも邪魔なチョコフレークを片づけてくれた。
屋久島合宿の最終日で小須田殿にも助けて頂いた前例のある田中であるが、今合宿も立川殿の援助なしには語れぬものとなった。
更には甲斐殿には朝食を任せきりにしてしまうなど、全体を通して仲間に助けられることの多い合宿になったと思う。
そして何よりも、自分は今一つ要領が悪く集団行動に向かない未熟者であるということを思い知った。
決して日本の屋根と称される北アルプス飛騨山脈の最高峰を制した喜びがないわけではないが、それにも増して様々な問題点の発覚が目立つ今合宿であった。

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