2010年夏合宿@北アルプス

 

●山域:剱岳・立山・後立山連峰

●期間:2010814日〜29

●参加者:甲斐(3CL)、立川(3SL)、重松(2)、竹下(2)

     伊藤(1)、酒井(1)、塩瀬(1)、宮本(1)


行動概要

814日 夜発

  15日 室堂〜雷鳥沢

  16日 沈殿

  17日 雷鳥沢〜剣沢、雪上訓練

  18日 Cフェース

  19日 大日岳ロングラン

  20日 剱岳ピストン、源次郎尾根縦走、剱岳〜三ノ窓

  21日 チンネ左稜線

  22日 雪上訓練、剣沢〜雷鳥沢

  23日 買い出し

  24日 雷鳥沢〜室堂〜扇沢〜冷池山荘

  25日 沈殿

  26日 冷池山荘〜五竜山荘

  27日 五竜山荘〜天狗山荘

  28日 天狗山荘〜白馬駅〜名古屋駅

  29日 名古屋駅〜福岡

 

○係反省

CL  甲斐 

 正直言って合宿を無事終えることができてほっとしている。しかし、反省することはたくさんあると感じた。合宿終了まで、かなりあわただしく、計画も十分であったとはいえない。

 計画について反省をすると、1年生に今回は登攀をさせてあげることができなかった。これは、自分たち上級生がきちんと部のレベルや活動内容にあわせてしっかりとした活動計画を立てていけなかったからである。また、計画書についても最終版が決定するのが遅くなってしまった。上級生のテスト期間が出発直前まであり、かなりあわただしかった。せめて準備する期間をもうすこし用意しておかなければいけないと思った。合宿に向けた活動というものができていなかったとおもう。

 実際に山に入ってしまうと、天候に恵まれたおかげでほぼ予定通りの行動ができ非常に楽しい山行になった。最初のほうは停滞前線が日本海上にあり、それのせいで天候が不安定になり天候判断に苦しんだ。しかし、停滞前線がいったん消えると快晴が続き、天候のおかげで成功したと言えるだろう。今回は積極的に沈殿をしていったが、それがよかったみたいで気力・体力のいい補充になった。最初は全員で完走することができるかかなり不安で、途中下山させたほうがいいと思うこともあったが、エスケープのしやすいルートだったので強気でいけたこともよかった。

 しっかり反省を行い、冬に向けて少しずつ準備をしていきたい。

 

SL  立川

 SLを自分がやらせてもらったが、ほとんど仕事をやってなかった気がします。

大したことを一年、二年に指示していたわけでもなく、逆にCLの甲斐の指示を聞く一方だったと思う。自分はただパーティーの事態、状況を報告するだけで何らSLらしいことをしていなかった。原因は積極的に指示する甲斐に介入しようとしないことだと思う。自分が意見することで指令系統が混乱するだけではないのかと勝手に憶測してしまい、消極的に甲斐の指示を待つだけになってしまった。定着一日目はその典型で、ライチョウ沢から剱沢にテンバを移す日は雨が降り、重松がぜん息であまり動けなくなってしまった時、自分は唯、状況を甲斐に報告しそれ以降の指示は甲斐に任せっきりなってしまった。それほど重い事態ではないかもしれないが、もしこれが雪山の山行の途中で隊が前にも後ろにも動きにくくなった時何もCLに提案しないことはCLにはとても苦しいことになり兼ねない。他にもCフェースの日や縦走の時にも当てはまる気がした。よって、これからは、思うことはどんどん言っていこうと思う。但し、よく考えたうえで、または自分が疑問に思って納得できないようなことを、である。

 

食料  重松

 一言で言うと大失敗でした。今まで同じ二人に任せっぱなしであったことがはっきりと表れてしまいました。山での楽しみと言えば食事なのに、そんな食事を楽しみにできなくて本当にごめんなさい。

 具体的に反省を述べます。一つ目は量です。昨年の量を先輩に聞いて自分なりに考えて計画を立てました。しかし、直前になって二名の不参加が決定し、改めて人数分の食糧を考え直しましたが多めに計画を立ててしまいました。また計画書の最終決定を知らないまま作っていた食糧計画であったので、日程に合わせることだけに気を取られきちんと考えられなかったことも原因だと思います。食糧係だと知らされた当初、部員で話をしていると自分は軽くすることばかり考えていて、私が考えている量だと少ないという印象を受けきちんと食事をとるとこを第一に考えましたが、失敗に終わってしまいました。それから量が多いことに加えて、ガス缶が多かったことも反省点です。去年問題があったという報告を受けていなかったので去年の通り持って行きましたが、あきらかに一人一缶では多すぎました。去年気づいていた方がいたなら報告していただきたかったと思いつつ、自分が念押しをしておかなかったので私にも責任があります。今回は二〜三個で一週間もちました。

 二つ目はメニューです。鍋は駄目でした。量のことにも関係しますが白菜が多すぎるということと鍋の素が液体であったことです。白菜は単に自分の計算違いでした。素は買い出しの時に慌てて一番に目についたものを入れてしまいました。その時は焦っていて安易に考えてしましましたが、大きな合宿の食糧係がこのようではどうしようもないと、合宿中から合宿を終えて落ち着いてから大いに反省しています。

 三つ目は買い出しです。今回は全ての前準備がギリギリだったこともあり、食糧の準備も直前になってしまいました。例年のことはよくわかりませんが、昨年は全て(エッセンも含めて)部員で分担して揃えましたが、今年は一括して部員二人で買い出しに行きました。買い出しの際には船越先輩に車を出していただいて本当に感謝しています。もし車を出していただけなかったらと思うとぞっとします。まとめて買うと何がいけないかというと、エッセンがうまくいかないということです。個人がバラバラに買ってくれば非難は少なかったのではないかと思いました。私自身、煎餅が多いことに抵抗はなかったのですが皆さんは抵抗があったようで、そういうことも含めて個人の好みになってしまう要因だったのではないかと思います。他の準備が忙しいことを理由に分担をできなかった私の責任です。

 今回の反省を踏まえて次回以降の改善点を、食糧係を経験した人間として挙げておきます。上に書ききることができなかった反省点も含めて。

 

・大きな合宿の食糧係になる人間は早めに決定しておいて、週末の活動や短期の合宿の際にも食糧係に仕事をする(食糧係だけではないが、部員一人一人がどのくらい食べるのか把握しておく)。

・今回の合宿のように隊が分かれてビバークなどを行う場合、そのことも考慮して食糧計画を立てる。

・食糧係を二人以上にする(食糧のことを中心に考える人間が一人なのはよくないと感じたため)。

・最低一週間前までには食糧計画を決定し、部員で分担して買い出しに行けるようにする。

・鍋の購入(古いうえに、取っ手が取れてしまったので買い替える時期かと)。

・ガス缶の個数をよく考える。

 

 エッセンに魚肉ソーセージを取り入れたこと、ポトフを新しくメニューに加えたこと、にんにくチューブと塩コショウを多めに持って行ったことは正解でした。次回食糧係になる人の少しでも参考になればと思います。

 

医療  伊藤・宮本

今回の合宿では全ての人間が大きなけがや病気になることもなかったので医療係として働く機会はあまりありませんでした。反省点をあげるとすれば合宿前にあらかじめ部員全体の体調や持病について把握しておき、それについての対策を立てておくべきでした。特に自分が喘息でないため気づきにくいですが、喘息の人は意外と多く息苦しさや発作を起こす人もいたので次回以降は注意したいと思います。また大きな事故に注意をおくのは当然ですが頻度としては靴擦れやひざの痛みなどの軽度の体の不調が起こることが多いのでそういうことを重点的に調べていきたいと思います。(伊藤)

 

 今回私は医療班として働かせていただきましたが、仕事といってもやったことは(幸いな事に)医療箱から軟膏や湿布などを取り出すことだけでした。しかし、これは先輩からもアドバイスを頂いた事ですが、医療班としてはもっと大変な怪我や病気に対応できるようにも訓練しておく必要があると感じました。それから「医療箱に〜は入っていないのか」という要望めいた質問もあったので、それを参考にさせてもらい今後医療箱の中身の充実を図ろうと思います。(宮本)

 

天気図 酒井・塩瀬

 塩瀬と共に天気図係をさせて頂きました。電波さえ繋がれば天気予報が簡単に入手できる現代(特に甲斐先輩のiPhone…)において天気図を書く意味はあるのか、加えて、これ以上ないくらいの美しい天気図を書く重松先輩の存在もあり、当初は自分の必要性が自分でもあまり感じられなかったのは事実でした。しかし、いざ山の中で気象通報を聞き出すと、思いの外に楽しかったのです。拙い手つきではありましたが、個人的な趣味のように楽しませてもらいました。単純に下界からのラジオの声が嬉しかっただけなのかもしれません。しかし、他方では自分の事前勉強の不足を痛感しました。天気図を書いても、+αが中々難しいのです。うまく予報を出すためにも、今合宿中に度々目にした停滞前線や高低気圧など、気象全般や特に山岳気象についてもっと勉強しておくべきでした。気象係として勉強し直し、今回2週間のうちに体験した空模様なども次回には活かせたらと思います。(酒井)

 

自分の係りは気象だった。主に天気図を2日に一度交代で書いていた。夏山合宿のはじめの数日間は停滞前線や寒冷前線などがよく現れていたが、なぜか天気は晴れが多くて、理解に苦しむ天気情報ばかりだった。夏山合宿中盤辺りでは、前線などが消えて、天気はかなり良かった。夏山合宿終盤では、福岡の近くに熱帯低気圧ができていて、もしかすると台風に変化するかもしれないとの予報があったので、福岡に帰れるかという心配があったが、結局台風には変わらず熱帯低気圧のままだったので、無事福岡には帰ることができた。気象係の反省としては、天気図を書く上で完璧な天気図を書けなかったということだった。例えば、自分には聞きもらしや記号の使い方のミスがあった。だから、日頃から天気図を書く練習をしていかないといけないと思った。(塩瀬)

 

○行動記録

アプローチ(福岡⇒雷鳥沢)    甲斐

 今回の移動手段は、夜行バス⇒18きっぷというもので、14日の夜博多を出発して目が覚めたら大阪についている。大阪から1日かけて移動しギリギリで室堂まで到達するというものだった。かなりハード。

 14日は夜にもかかわらず、吉田さんに来ていただき、差し入れにちりめん山椒をいただいた。バイトのため参加できない古澤も実に気のきいた差し入れを用意してくれた。差し入れ本当にありがとうございます。夜行バスは4列シートだったが、安かったので文句は言えない。お盆だったので渋滞も覚悟していたが、予定より早く大阪に到着した。今回不参加の小須田も大阪まで見送りに来てくれたので小須田と大阪で別れ、18きっぷで富山駅まで向かう。ここで出番なのが1年の酒井である。そう、彼は鉄道を愛しているのである。彼の指示に従って乗り換えをスムーズに済ませ、席にも座ることができた。順調に富山まで時間内に辿り着き、富山駅では友野さんとお会いした。友野さんには今年の剱の状況などを教えてもらい、富山駅で見送っていただいた。ここからはアルペンルートと呼ばれる電車とケーブルカー、バスを乗り継いで室堂を目指す。富山駅から室堂まで3500円とめちゃくちゃ高い。こんなのぼったくりじゃないか、と毎年思う。2時間ほどで室堂には到着。雷鳥沢まで急ぎ、テントを張る。すでに2400メートルの高地、1年生は初めての領域である。甲斐は毎回軽く頭が痛くなるが、寝て起きたら治っているので気にしない。この日の夕食は一品鍋、さまざまな具材が並ぶ。キムチ味の鍋で非常においしかった。しかし、肉がない、先が思いやられる。この日は22時頃就寝、少し遅くなった。

 

 

16日(沈殿)          伊藤

5:30起床

7:35 発

8:55 雷鳥沢

 

実質的に合宿初日という事もあって、まだ山になれていないのか普段よりも荷物が重く感じられた。朝の集合時間に伊藤と酒井が遅刻し出発が10分遅れる。注意が必要である。行動開始後、途中で重松先輩が喘息の発作を起こし、立川先輩、竹下先輩、重松先輩が隊を一時離れる。その後、雲行きが怪しくなってきたので途中で引き返し、離れていた先輩方と合流し雷鳥沢に引き返し沈殿する。雨が降りそうなので途中で引き返すことを希望したが、先輩方から前回の合宿の話を聞く限り、この程度の雨であれば行動を続けることを希望するべきだったかもしれない。

 

 

17日(雷鳥沢⇒剱沢・雪上訓練) 酒井

5:00 起床

6:12 発

8:05 御前

9:07 剱沢着

10:05 剱沢発

10:35〜13:15 雪上訓練

14:45 剱沢着

 

5時に起床。昨日の雨天からは想像も出来ないくらい晴れており、出発。終わりが見えない上りを歩きながら、竹下先輩の「明日はあの山一山超える」という事の重大さ理解する。途中に3回の休憩を挟み、8:20剱御前小屋前に到着。やっとピークを迎える。しかし、剱岳は望めるもテン場となる剱沢が全く見えず、不安は煽られるばかり。その後御前小屋から30分ほど下って剱沢着。97分。

テントを建てて荷ほどきの後、雪訓のため剱沢大雪渓へと向かう。105分。30分ほどで到着し、雪訓の準備を開始。甲斐、立川両先輩の最終ビレーと竹下先輩の「ストップ」の号令で、雪訓が初めての重松先輩と1年生4人は、ピッケルストップ4種類を一通り身につけた。

帰りはアイゼンを履いて雪渓を登る。見違えるほど歩きやすかった。そして、1450分剱沢に帰着。定着初日の活動は無事終了。あとは皆で夕食を作った。

 

 

18日(Cフェース・沈殿)    立川・宮本

4:00起床

5:00発

5:30雪渓へ

6:00長次郎谷出合

10:00登攀開始

14:15登攀終了

16:30懸垂下降終了

17:30頃 熊の岩

 

Cフェース組   立川              

この日は4時起床。朝ご飯は文責の立川が覚えていないので省略。

5時に剱沢出発。5時半頃雪渓に入り、淡々と問題もなく長次郎谷の出会に65分着。

そこから長次郎を登るが中々時間がかかり、途中の岩場に7時半までかかり、そこから945分頃Cフェース取りつきに到着。先に立川と竹下組が10時に登攀開始。そのあとに甲斐、重松組が続く。

ここからは立川、竹下組を中心に書いていく。立川、竹下組は二人で交互にリードするがリード慣れしていない二人はリードに苦戦していた。難易度的には全然楽勝なので、去年より時間はかからないと思えたが、4ピッチ目手前のところで東京○科大学らしい組と遭遇。そこで詰まって大幅にタイムロス。また4ピッチ目で自分(立川)が竹下にスリングを返し忘れていたので、途中でピッチを切り、そこからは5ピッチ。結局、13時半〜1345分くらいに立川、竹下組は登攀終了。1415分に後続の二人も終了。

 そこから懸垂下降点に移動。1515分くらいに下降点に到着。まず、立川が下降するが、降りたところが足場が悪いとこだったので、結局途中まで登り返して、降りた。下降終了は1630分。そこから剱沢に帰ると帰着が遅くなりすぎるとCLの判断で立川のみ剱沢に帰り、重松は甲斐、竹下と一緒に熊の岩でビバーク。熊の岩着1730分。剱沢着19時。

 

沈殿組 宮本

全員4時に起床し一年生は5時に先輩たちを見送る。6時半にラジオ体操。昼間はテント内のものを干したりリレー小説を書いたりエッセンを食べたりして暇をつぶす。17時ごろから立川先輩と重松先輩の帰りが遅い事に不安を覚え始める。日が沈んでも帰還を確認できなかったら剣沢小屋に連絡する事を決定。18時半に夕食(乾麺)を終えさらに待つこと30分、19時に立川先輩のみが帰還。夕食を作り明日の予定を話し合い、20時には就寝。

 

19日(帰幕・ロングラン)    竹下・塩瀬

7:00起床

8:15発

9:30長次郎谷出合

12時過ぎ 剱沢

 

熊の岩からの帰幕 竹下

819日予定ではチンネ左稜線登攀の予定であったが、昨日のCフェースでの登攀に予想以上に時間がかかり、重松が甲斐、竹下と共に熊の岩に泊まったため本日は剣沢への帰幕のみの行動となった。重松を一人熊の岩に残し、登攀組だけ予定通りチンネに向かうということも考えたが、Cフェースでの登攀の疲れや、女性を一人だけテントに残しての行動と言うことに抵抗があったため、別の日でのチンネ登攀を胸に決め熊の岩を去った。

天気は悔しいほどの快晴。「今日登ったら暑過ぎるよな」と言いながら長次郎谷の雪渓を下って行った。

出発は8時過ぎ。剣沢まで帰るだけだったため少し出発は遅めにした。2人分の雑煮を3人で分け、熊の岩を出発。既にCDフェースには人影がちらほら見えた。昨年は登山靴のせいで雪渓歩きが極端に苦手だった重松も今年は新調した登山靴のおかげで問題なく雪渓を歩くことができ、特に問題なく下ることができた。昨年に比べると雪渓の状態はよく、一か所だけクレバスが伸びていたが、大きく割れたような所は少なかった。そのクレバスが先日長次郎谷を登った時より伸びていたのには少々焦りを感じたが…

剣沢との出合いまで下りきり一休憩。ここからさらに2回ほど急な斜面を登らなくてはならない。ロングラン組はどこまで行っているだろうか、帰りは何時頃だろうか、この登りはきつい、などと話しながらテン場を目指した。

重松の靴ずれのために、スピードを抑えて歩いたが、それでも12時過ぎには無事剣沢のテン場に到着。ロングラン組はまだ帰っていなかった。

近くの大岩の陰に3人で座り魚肉ソーセージを食べたり、甲斐の出した羊羹を食べたりしながらロングラン組の帰幕を待った。2時過ぎにロングラン組が剣沢テン場までの坂道を下ってくるのが見えた。

夕方、甲斐と竹下は昼間の大岩でボルダリングに興じ、来るチンネ登攀に向けて気持ちを高めていた。

まだまだ合宿は続く…

 

大日岳ピストン 塩瀬

この日は4時起床で、5時出発だった。やはり朝5時は少し寒いなと思いながら、まずは剱沢から剱御前へと出発した。剱御前には、5時40分ごろ到着した。この頃にはもうあたりに日が昇っていて、あたたかくなり始めていた。そして、5時50分頃奥大日岳に向けて出発。幸い、奥大日までの道のりは下り坂ばかりで、すいすい進んでいきコースタイムは4時間程度だったが、3時間ぐらいで奥大日岳に到着した。(到着はおよそ8時)心配だったのは、別行動をしていたチンネ組の方だった。休憩のときしばしば、携帯で連絡が来ていたか確認していたが、一度も来なかったので、向こうの方は電波が悪いのかなあと思っていた。8時20分ごろから大日岳へ向けて出発した。しかし、この先辺りから、ハシゴ場や落石注意の場所が多くなって、一筋縄では進めないようになってきた。だから、みんなの疲れもたまってきた。結局、時間のこともあって、奥大日岳と大日岳の中間あたりの七福園というところの手前で引き返すことにした。(この時の時刻は9時30分ごろ)奥大日岳には何とか1時間程度で到着したが、ここから剱沢に帰るのが最もきつかった。なぜならここからの道はほとんどが上り坂になるからである。ましてや、コースタイムが4時間ほどあったので、気が遠くなってしまった。みんな削りゆく体力との戦いの末、なんとか14時ごろに剱沢に到着した。この時にはもうすでに、チンネ組が帰ってきていたのだ。事情を聞いてみると今日はチンネにはいかなくて、明後日に行くことにしたらしい。とにかく、無事ピストンを終えてよかった。この日の行動時間は9時間だった。縦走の時にはもっと行動時間が長くなる時があるので、縦走は大丈夫なのかなあと大いに心配した。15時30分からシチューを作り始めて、16時から天気図。18時ごろ就寝。

 

20日(源次郎・剱)       立川・竹下

 

4:00起床

5:00発

6:00取り付き

10:00T峰

10:30U峰

12:05山頂

13:20長次郎左俣・町田グラウス

17:30三ノ窓

 

源次郎〜剱山頂〜剱沢 立川

 4時起床、朝ごはんはまたまた文責が覚えていないので省略。5時頃出発。Cフェース同様、雪渓に530分着。6時頃源次郎の取りつきに。それから藪こぎの連続。際どいところからザイルも出してコンテを組んで登る。源次郎のT峰の前には2つに道が分かれており、そこで谷沿いの道を通った。谷沿いの道はガレ場の連続。おおきな岩を落としてしまった。下の雪渓の人に当たってないことを願うばかりだ。結局、T峰の到着時刻は10時を過ぎていた。尾根沿いの道ならもっと早く着いていただろう。T峰通過後はU峰まで30分くらいで到着。U峰までは難易度的に大した道ではなかった。11時少し前には源次郎の懸垂下降点に到着。懸垂も1115分頃には終わり、あとはひたすら剱本峰まで登り。12時頃に本峰到着。先に剱組は到着していた。そこで休憩、記念撮影をとる。

 ここから三の窓に出発する組と剱沢に帰る組と分かれるが、剱沢に帰幕するほうを書いていく。

 1235分剱発。剱の帰りはカニの横ばいを通った。なかなか際どいところ。鎖がなければ一年は絶対に連れてこられない。それからも鎖ばの連続。どうやら鎖は9か所あるらいい。1410分に前剱に到着。少しガスったがすぐ晴れ、剱沢までの道が良く見えた。前剱からは、しばらくガレ場。下にも人がいたので慎重に歩かせた。15時には一服剱に到着。もう少しで帰れるが、一服剱の帰り、立川が途中疲れて歩けなくなったので、また剱山荘と剱沢との間であったので、そこから一年と重松を先に行かせた。1610分頃には剱沢に到着。夜はスパでたらことツナの2種類が選べたが、ツナが人気であった。1930分には就寝した。

 

剱岳ピストン〜北方稜線 竹下

今日は剱岳ピストンの日。甲斐、立川は源次郎バリエーションルートを行くため劔組より少し早く、5時に出発。先日の熊の岩ビバークで風邪を引いていた竹下はテントの中でお見送りをしていた。6時過ぎまでテントの中でゴロゴロした後、6時半ごろから出発準備を始めた。今日から明日にかけてチンネ組が三ノ窓でビバークするため、水やテントなどを劔組が山頂まで運ぶことになっていた。ザックは3つ。ひとつは竹下の装備を入れたもので竹下自身が常に持っていた。残り二つには劔組のエッセンや防寒着、レインウェア、チンネ組のテント、水などを入れて竹下以外の劔組の人間が交代で運ぶことになった。7時過ぎに出発。4人用のテントを畳む際にポールが中で外れてしまったとかで少し準備が遅れてしまった。上級生はもちろん、1年生はテントの設置、片づけ等基本的な動作を徹底させなければならない。

全員の体調は問題なし。空荷ということもあってか、ペースも順調であった。剣山山荘を過ぎ、まずは一服剣を目指した。劔岳の登りはガレ場が多く、しかも踏み跡らしきものがいたるところにあるためルートファインディングが少し難しそうであった。一服剣に着き、10分の休憩をとった後、次の前剣を目指した。この辺りから斜面が急になり、落石の危険も出てきだした。落石を落とさないように慎重に進む。9時ごろにもかかわらず、既に下りてくる登山客が多かったため、待ったり待ってもらったりしながら進む。前剣に着いたあたりで源次郎尾根が見えてきた。途中2人組の人影が見えたがあれは甲斐・立川ペアであったのだろうか。前剣からはさらに道が険しくなり、落ちたらアウトだろうなと思えるような箇所もいくつかあった。劔岳で一般登山客が滑落事故を起こすのも頷けた。慎重に鎖やハシゴを使いながら山頂を目指した。1年生の持つ水の入ったザックが実は自分の持っているザックより重いことに竹下が気付いたのは山頂のすぐ近くだったことは誰も知らない。

ちょうど12時山頂に到着。山頂に甲斐・立川の姿はなく、少し待とうかとしていたところひょっこり立川の姿が現れる。まさに源次郎組も山頂に着いたところであった。皆で記念撮影をし、30分ほど休憩した後、チンネ組に荷物を受け渡し、山頂にて分かれた。

「おみー」が今日の甲斐の口癖となった。確かに重かった。水は1人頭約5リットル、ガチャ類をフルに持ち、ザイルも一本ずつ、テントまであったらそれは重くなって当然だろう。北方稜線を通り三ノ窓まで行く予定だったため、稜線を歩き始めるが、道が悪かった。途中県警のおじさんに道を教えてもらうが、ありえないほど道が悪かった。というよりも、教えてもらったような道はなかった。なんども命がけのクライムダウンを行い、ガレ場を滑り降り、一息ついたところで2人組の登山者と出会った。町田グラウス山の会の方であった。記念撮影をしてもらい、HPに行くとの約束を交わし、それぞれの道を進んだ。そこからの道も悲惨なものであった。ヘリを呼んですぐにでも帰りたくなるような道が続いた。熊の岩上部を過ぎ、長次郎谷の右俣上部、池ノ谷乗越に着いたのは4時過ぎだっただろうか。そこからの池ノ谷ガリーも苦しかった。まさにキング・オブ・ガレ場であった。一歩ごとに足元が崩れ落石が起こるという有様だった。帰りはここを登り返すことになるとは…約30分過ぎたところで三ノ窓が見えてきた。予想以上の広さと綺麗さに驚きと喜びながら泊まる用意をした。周りには誰もおらず、明日は一番に取りつけそうだった。夕食に乾麺を食べ、ルートの確認や持っていくガチャ類の整理を行った。4人用のテントに2人は広い。

 

 

21日(チンネ・沈殿)      甲斐・伊藤

4:00起床

5:00発

5:30取り付き

6:00登攀開始

9:30T5前

12:05チンネの頭

14:30三ノ窓発

19:00前 剱沢着

 

チンネ左稜線 甲斐

 こいつを登りに来た。こいつが登れるように練習してきた。いよいよチンネに挑む日が来たのである。4時起床し、腹ごしらえをしてテントはそのままにして、必要なものだけを持って取り付きに向かう。軽量化のため、ピッケル、アイゼンなどは取り付きに置いておき、後から取りに来るようにした。それでも、やはりそれなりの重さになる。X級ということなので、リードは空荷でフォローが大きなザックを担ぐスタイルにした。山靴などもザックに入れそれを一人で担ぐことになりるので、かなり重い。6時頃登攀開始し、まずはV・W級のフェース等から始まる。初めのうちは甲斐がリードで行く。時間が早いこともあり、先客はいない。空荷であるので、リードはかなり楽らくだ。3ピッチ目に差し掛かるところで、後ろから若いベテランガイドとそれに連れられた結構年輩の方のパーティが来ていた。ガイドの方には三の窓の水場などを教えていただいた。彼らは手際がよく、あっという間に自分らを抜いていった。しばらくすると、T・U級のフェース、リッジなどが連続するのでそこ時間を稼ぐために急ぐ。次にピナクルの連続するリッジ(W級)などを竹下がリードし、そしてようやく核心に辿り着く。さっき追い越して行ったパーティが核心を登っていたので、ルートをしっかり目に焼き付けた。その間すこし休憩し、剱沢のメンバーに連絡をしようとするが依然つながらない。通信はあきらめ、いざ核心へ。甲斐が先行し、鼻と呼ばれる核心まで行く。事前の調べで右手を伸ばせはガバがあることは分かっていたので、そのとおりにするとがっちり決まった。そして少し強引に核心を突破した。フォローの竹下はザックが重かったこともあり、安全にA0で突破したようだった。後はナイフリッジを数ピッチのぼる。途中ハーケンが少ないことに少し不安を覚えたが、すぐチンネの頭に辿り着いた。頭には静岡大と南山大のパーティが中央チムニーを登り終えていた。終了点にて今回の合宿の目的の一つの左稜線を落とすことができた喜びに浸りつつ写真を撮ったりした。ちょうど12時くらいについたので約6時間かかったが、予定通り今日中に帰れそうだ。懸垂下降で池の谷ガリーまで下り、また嫌なガリーを下りテント場まで付く。甲斐は取り付きに残したアイゼン・ピッケルをとりに行き、竹下はテントを畳む。剱沢まで何時間かかるのかと思いながらも、チンネを登れた達成感でいっぱいだった。ガリーは30分くらいで登り終え、次は長次郎谷を一気に剱沢出合まで下る。長次郎谷は熊の岩付近までガレを歩き、雪渓に移ってからはダッシュで下った。剱沢出合からは登りで、甲斐はもう足がガクガクきていた。何度も休憩をとりながら明るいうちにようやく剱沢に辿り着いた。行動時間が長くもうへとへとだったが、沈殿メンバーが夕飯を急いで作ってくれた。すごくおいしかった。

 

沈殿 伊藤

登攀にいった先輩方からの連絡を待つために、剣御前小屋前に待機する。待機中に一部のメンバーは山荘で食事を購入する、高地であるため物価は非常に高かったがそれに見合う満足を得ることができた。携帯電話のメールで今回は連絡を取り合うことになっていたがどこでも電波が通じるわけでなく、機種によってそれも変わってくるので次回以降はその点に気をつけて連絡を待ちたいと思う。

 

 

22日(雪上訓練・剱沢⇒雷鳥沢) 宮本

6:00起床

7:00発

8:00〜11:30 雪上訓練

12:30剱沢着

13:50剱沢発

14:33剱御前着

16:00前 雷鳥沢着

 

6時起床で、7時に雪渓へ出発。この日は前回の復習も兼ねピッケルストップ4種のテストをし、その後ザイルのみで行うビレイの方法4種を習い2種実践。11時半に雪訓を終わらせ剣沢へ。13時50分には剣御前に向けて出発をした。16時少し前に雷鳥沢へ到着し、天気図係はすぐに天気図を書く。17時半ごろには夕御飯を食べその後皆の羞恥心を煽るトランプをし21時に就寝。

 

 

23日(買い出し)        重松

 

 前日で定着合宿を終え、この日は縦走の食糧買い出しの日。縦走では使わない装備をそれぞれ荷造りし、室堂へ。地獄谷を通らない道を通ったが、相変わらず硫黄臭い。9時過ぎに到着。郵便局は930〜であると知り、売店で段ボールをいただいてそれぞれ送り返す準備をする。郵便局が開いて聞いてみると郵便局で荷物の運送は扱ってないとのこと。結局段ボールをいただいた売店で荷物を送り返すことに。その間にも売店での試食の手は止まらない。10時のバスに間に合うことが分かり、食糧係の重松とあとはそれぞれお使いを頼まれた竹下と宮本が立山まで行くこととなった。美女平〜立山までのケーブルカーは行きほど空いてはいなかったが、それでも去年の人が嘘のように広々としていた。

 立山駅で買い出しの前に少し休憩。カレーパンとおやきを食す。買い出しは分けるのに時間がかかりはしたが、順調に終わった。それぞれ頼まれたものやエッセンの買い足しも済ませると帰り際に五十嶋商店の方がアイスを持たせてくれた。外でいただいたアイスを食べてケーブルカーの券を取りに行くと、ケーブルカーが故障して動かせないからレストランで待機しているように言われた。そこで、室堂にいる部員に連絡して先に食事と入浴を済ませておくように伝えて、こちらの三人は立山で食事を済ませた。予想以上に臨時のバスの手配が早く、思っていたよりは早めに室堂に着いた。三時くらいだった。それから三人でみくりが池温泉に向かうとちょうど入浴を済ませた立川先輩に遭遇。入浴を済ませて、お土産を見てテントに戻った。

この日はあまりお腹が空いていないということで、ご飯は炊かずにキムチ鍋だけを夕食として食べた。そして就寝前には罰ゲームつきにしてトランプで遊んだ。一年生が強くてあまり一年生のお話を聞けなかったような気がするが(一人だけ異常に負けていた人を除いて)、次回への楽しみとする。

 

 

24日(雷鳥沢⇒扇沢⇒冷池)   竹下

5:00起床

6:00発

9:30扇沢発

13:15種池小屋着

14:20爺ヶ岳南峰

15:35冷池着

 

剣沢をBCとした定着も終わり、いよいよ今日から縦走の開始となった。一日の大きな流れとしては、まず室堂からバスやらなんやらを乗り継ぎ扇沢まで行く。扇沢からは柏原新道を登り、種池山荘、爺ヶ岳を通り、冷池山荘を目指す。

5時に起床。初便のバスに乗るためだった。1時間で準備を済ませいざ出発。室堂へ向かう際に、地獄谷を通る組と血の池を通る組とに分かれて競争をした。もちろん地獄谷組の勝利。硫黄は目に染みたが…室堂に到着後はバスの出発まで時間があったため、ピッケルやアイゼン、登攀用具などの縦走で使わない装備を福岡へ送ったり、お土産を買ったりなど自由行動をとった。やはり人気は星の雫だった。室堂からはトローリーバスで大観峰まで行き、ケーブルカーに乗り換え、黒部ダムを歩き、再びトローリーバスに乗り目的地の扇沢まで向かった。行く先々で土産物屋に寄り、試食できるものは全て頂いて行った。扇沢の登山口はバスの駅から舗装道路を15分ほど歩いた距離にあった。いよいよ縦走開始である。参考のために室堂ではかった荷物の重さを書いておくが、軽い者で20kg、重い者は30kg程度であった。主将の荷物が20kgだったことは部内の内緒である。

扇沢から伸びる柏原新道は地図でもはっきりとわかる完全な「登り坂」であった。荷物もいっぱいのこの登りが縦走中でも一番の山場であっただろう。さて、定着合宿では主将の甲斐が行動の指揮をとってきたが、その甲斐の計らいにより縦走合宿では2年の竹下が指揮をとることとなった。竹下を先頭に縦走合宿がスタートした。初めの1時間ほどは高度の低さ、風の無さもあってかものすごい暑さで汗の量が尋常ではなかった。30分刻みでこまめに休憩をとり、少しずつ目的地に近付いていった。登りきった後もさらに2時間ほどのトラバースがあり、いい加減に嫌気がさしてきた頃ようやく種池山荘に到着した。到着は1315分。約4時間近くの登りだった。種池山荘からは爺ヶ岳の南峰がすぐ近くに見え、休憩も短めに山頂を目指した。南峰までは緩やかな登りがだらだらと続いた。南峰到着は1420分。山頂にあった見事なケルンを重松が写真に収めていたが、すぐ後にやって来た中学生だと思われる子供がそのケルンを壊してしまったため部員たちは苦笑していた。南峰からは今日の目的地である冷池山荘と北峰が良く見えた。北峰の直下まで来た時、山頂へと向かう道と山頂を通らずにトラバースする道への分岐があった。南峰で満足していたということもあり、多数決でトラバースを選んだ。その頃から次第に天気が怪しくなり、ガスってきていた。冷池山荘の姿も見えなくなり、遠く立山の方では雷が鳴るのも聞こえてきた。稜線上をのんびり歩いていては雷にやられるかもしれないとペースを早め、登り下りを繰り返したが、一向に山荘が見えてこなかった。コースタイムが1時間の下りだけあって、冷池山荘到着は1530分。どの部員の顔にも安堵の表情が見えた。冷池山荘は非常にきれいで特にトイレの作りは素晴らしかった。ただ、テン場までが約8分の距離というのは少々辛かった。夜は天気図を見ながら翌日以降の行動について話し合った。天気が荒れそうだということと、定着が早めに終わったこと、各員の疲れ具合から翌日は沈殿しようということになった。それにしても、トイレまで8分歩くのは辛かった。

 

25日(沈殿)    立川

       

前日ものすごく皆疲れていて、25日が雨になるだろうということで冷た池で沈殿になった。しかしこの日は度快晴。起床時間を決めてなく取りあえずしばらく寝ていたが同じテンバにいた韓国人が朝からうるさく、皆起きてはいたようだ。ずっと寝ていてもしょうがないので、630分に起床。朝は雑煮。910分に天気図を取り、明日は降らないが明後日が微妙と分かった。それから山荘に行ったり、テンバに残って話したりしていた。13時から早めの夕食の準備に取り掛かった。人参やじゃがいもの薄く切る技術がみんな上達していた。1530分にはカレーが出来上がり、16時からまた天気図を取った。1730分にはコーヒーやお酒を飲んだり、楽しんだ。この日は早めの19時就寝。冷た池のテンバの斜めに張ったテントで寝るのはきつかった。

 

 

26日(冷池⇒五竜)       塩瀬

3:30起床

4:44発

8:25キレット小屋

12:35五竜岳

13:30五竜山荘着

 

この日は冷池からの出発だったので、3時30分起床で5時出発という計画だった。(テン場からトイレが少し離れていたため)朝食は棒ラーメン。出発は5時の計画だったが、みんなの用意が早かったため、4時45分ごろに出発した。しかし、この時間帯はあたりが真っ暗であったので、ヘッドライトをつけて移動した。15分ぐらい移動して5時になったころにはあたりが明るくなり始めていたのでヘッドライトをはずした。縦走はこの日が一番きついと聞いていた。というのも、冷池から五竜まではコースタイムがおよそ10時間もあり、キレット小屋の前では危ない鎖場やハシゴ場があるらしいからである。冷池から鹿島槍までは難なくすすむことができた。(鹿島槍到着は6時15分ごろ)しかし問題は、ここからだった。鹿島槍からは下り坂ばかりだったが、急な下り坂が多く、足場が悪いところが多かったのだ。体力は削られないが、精神面のダメージが大きかった。そして、危ないといわれていた鎖場・ハシゴ場に着いた。しかし、そこまで危なくはなく、すぐに通過してキレット小屋に到着した。(到着時間は8時25分ごろ)キレット小屋から五竜まではコースタイム5時間で長いだけかなあと思って、気が楽になっていたが自分にとってはここからがきつかった。五竜岳までは上りが多かったためである。なおかつ、剱岳みたいに危険なところも多かった。一番きつかったのは五竜岳の手前のかなり急な上り坂であった。このときは五竜岳を登りきるまで本当に疲れ果ててしまった。なんとか五竜岳には着いた。(到着は12時35分ごろ)あとは五竜山荘まで下るだけだった。だが、安心したのもつかの間、下る道は崖のようなところが多く、まるで剣岳の延長のようだった。40分ほどかけて、五竜山荘に到着。(13時30分ごろ)この日は上り下りが激しく本当にきつかった。この日の行動時間はおよそ9時間だった。14時50分ごろからシチューを作り始めた。さすがに縦走3日目ともなると野菜の切り方が雑にはなっていなく、かなり細かに切れていた。16時から天気図をして、19時ごろ就寝。

 

27日(五竜⇒天狗)       宮本

4:00起床

5:00発

7:15唐松山頂山荘

11:55天狗の頭

12:30天狗山荘

 

時起床、時出発。7時15分に唐松岳頂上山荘に着く。中学生がたくさんおり、なかなか頂上までたどり着けず。11時57分に天狗の頭着、12時25分に天狗山荘着。水が冷たくて美味しいし、トイレもきれい。5人テントの方では竹下先輩にコーヒーをご馳走になる。いつもどおり16時に天気図を書き16時20分に夕食。20時には就寝。

 

 

28日(天狗⇒白馬駅)      重松

4:00起床

5:00出発

7:35白馬岳頂上山荘

9:20白馬岳山頂

11:00雪渓へ

11:55小屋

12:50猿倉

 

 四時起床で天狗山荘を五時に発つ。すぐに重松が喘息を起こし、ペースが落ちる。途中で歩荷分けをする。白馬を目指す途中で今日中になんとしても下山したいということになり、当初予定していた欅平方面ではなく、雪渓を通って猿倉の方に下りることになった。道はあまり急な登りもない道。白馬山荘から頂上まではあっという間であった。この日は頂上に登っても霧で景色が見えず、少し残念であった。集合写真を撮り、あまり長居をしないまま下山へ(早く下界に行きたい気持ちは皆同じであったらしい…)。頂上から下っている途中で少し寄り道。お土産を買ったり食べたりした。そこからの下りは観光客が多かったり急な下りであったこともあって雪渓の取り付きまで1時間ほど下った。この雪渓、観光客が多いからか道が出来ているかのように足跡が続いていた。アイゼンを送り返していたこともあり、全員山靴で下る。途中一年生の二人が雪渓に苦手意識を感じ始めたのか、三年生が上の山荘で購入した軽アイゼンを付けて下ることにする。二年生と宮本が先に雪渓を下ってしまい、その後に残りのメンバーが続いた。下る前はそんなに感じなかった雪渓の角度であったが、下ってきて振り返ってみると思っていたよりもそして感じたよりも急に見えた。これが下りで本当に良かったと思う。白馬尻小屋から道路に出るまでそう時間はかからなかった。一旦山道に入ると、また山道か…と少しブルーになったが5分程で猿倉山荘に到着。縦走の全日程が終了した。

 着くとすぐ声をかけてきたのがタクシーの運転手。登山者に慣れている。料金を固定にしてくれることとバスが行ってしまったばかりであったことを考慮して、タクシーで下界へ。白馬ロイヤルホテルまで行き、温泉で一週間の疲れを癒した。そこから白馬駅までは徒歩3分。電車の時間まで1時間あったので、お土産を買ったりお昼を食べたりした。

 

 

帰り(白馬⇒名古屋⇒博多)    酒井

828

 山岳部の活動記録としては不適切かもしれないが、一応帰り着くまでを報告させて頂く。

 猿倉荘の前のバス乗り場の横で客待ちをしていたタクシーの運転手に捕まり、割り勘でバスより安いことが判明。バスまでも1時間強あったので、一秒でも早く下界の空気を吸いたかった8人はタクシー2台に便乗し、タクシーに無理矢理紹介された駅前の温泉に向かう。やはり白馬、旅行業の裏手引きは完璧である。到着したのは予想通り少し寂れかけたホテルの温泉…。でも、2週間ぶりの風呂は何でも快適だった。

 さっぱりしてから白馬駅に向かう。時刻表によれば日着は米原が限界らしい。米原大垣には何もないので、名古屋駅前でのビバークが決定。流石の大糸線は次の電車まで1時間強あり、お土産巡りや2週間ぶりの下界のレストランで時間を潰した。その後、食料の無くなった軽いザックと共に、混んだ大糸線で松本へ出る。

松本からは珍しく直通中津川行きと時間が合い、快適に3時間を車中で過ごした後、名古屋に到着。2221分。

白馬15:4316:20信濃大町16:3217:27松本18:2220:45中津川21:0122:21名古屋

829

 名古屋駅の太閤通口側、つまりエスカの出口部分でビバークを決行。階段の逆側には本物のホームレスが居るという臨場感。1年生は流石に慣れている先輩ほど眠れず、4時まで眠れなかった塩瀬と僕は2人で素晴らしい夢を見ていた。

 山の4時起床に慣れたせいか、5時起床は全く苦にならない。朝食の買い出しを済ませた後、東海道線を下る。大垣からは姫路行きに接続があり、ザックを持ちながらも大垣ダッシュを制したため、新快速には乗り換えずに快速で姫路まで向かうという強行軍。途中何回も抜かれはしたが、加古川を過ぎると貸し切り状態となり、快適だったので選択は間違いでは無かったと思う。三原行きへの相生ダッシュには完敗し、岡山での降客と入れ違いに着席。福山まで予想外の混雑だったがずっと座れた。三原行きを次の始発に合わせるため糸崎で降り、駅前のスーパーで買い出し。糸崎でも次の岩国でも順調に座れ、快適な山陽線だった。そして、本州最後の下関着。僕以外皆九州人ということもあり、関門海峡は各々特別な思いで抜けたことだろう。そして最後の乗換、小倉である。準快速は幸いにもガラガラで、4分遅れの博多着。改札口には船越先輩が迎えに来て下さっていた。

 以上、人によっては山行よりもハードだったのかもしれない鉄道旅。お疲れ様でした。

名古屋5:496:26大垣6:3010:45姫路11:0611:25相生11:2814:10糸崎14:4416:54岩国17:1220:30下関20:3520:48小倉21:0022:11博多→各自

 

 

○感想・反省

甲斐

 合宿を無事終えることができ、本当に良かった。しかも、ほぼすべて消化でき、全員で完走できたので非常に充実したものであった。この合宿を成功させることができて、上級生も下級生も多少自信がついたのではないかと思う。しかし、反省しないといけない点もたくさんあった。

一番大きいのが、計画書の最終決定が遅れてしまったことであると思う。出発1週間前に2回目の検討会をしてそれでほぼ決定かと思っていたが、それ以降2名が不参加になってしまった。それはしょうがなかったのだが、自分はテストに集中してほかのメンバーに計画の変更などを任せてしまって、テスト終了まで何も指示しなかった。それで、出発の直前にバタバタしてしまった。船越先輩や高田先輩に急きょ集まっていただき、最終的な決定をしたが、それは出発の2日前になってしまった。そのため、他のメンバーをいろいろ混乱させてしまった。

また、今回の合宿で1年生に登攀をさせることができなかったのも残念である。今年から装備を一括購入にしたのだが、手続きに時間がかかり山靴でさえそろえるのが遅くなってしまった。さらに今年は5月30日以降天候に恵まれず、野北にいく計画を立ててもことごとく雨に降られてしまった。そのため、歩荷・登攀の両方に十分な時間を充てられなかった。リーダー会で1年生には登攀より縦走に向けた準備をさせるべきと判断し、1年生には野北より歩荷などの訓練を優先させた。雨になることもしっかり考えた活動の計画が必要だったと思うし、合宿に向けた始動が遅かったと思う。

今からは感想になるが、今回の合宿は本当に楽しかった。やりたいことはだいたいできたと思っている。念願のチンネ左稜線にも行けて、全員で完走できたので個人的には大満足である。雨に降られなかったというのが大きく、沈殿をたくさんしたのも非常に楽しかった。定着が終わってからは温泉に入ったり、黒部ダムをみたり観光もできた。縦走は最初の登りがきつかったが、日に日に荷物が軽くなっていくのがうれしかった。今回は軽量化のためシュラフをシーツだけにしたり、下山用着替えを持っていかなかったりいろいろしたので少し軽かった。しかし、何しろ準備がバタバタしてしまったのでせっかく購入した帽子を家に置いてきてしまったり、サプリメントを準備できなかったり、軽量化し損ねた装備もあったりと心残りも多い。縦走の前にザックの重さをはかったがほかの部員は重かった。というより自分が軽かったのは格好悪かったが、あの時はまだ水と手荷物の合計4キロ弱が入ってなかったのと軽量化のたまものだと思っておくれ。今回の合宿を冬山へのステップとし、少しずつ冬に向けた準備をしていきたい。それと、最近登攀が楽しい。

 

立川          

全体としては反省が多い。去年、一昨年ほど疲れてバテたり、きつい山行はなかったが、SLの反省でも書いてるとうり、上級生として一年、二年の監督、指示が足らなかったと思う。異常に気づくことの遅さ、また気づいても指示を待つだけなど最上級生としてはらしくない行動、ほとんど下級生のように振舞ってしまったのは一番大きな反省点だと思う。やはり周りを良くチェックし異常の対処を迅速にまた消極的な態度を取らずに、積極的にCL に提案、意見を言うべきであった。

SL反省の付け加えであるが、今回のような行動をとった原因は心に余裕がなかったこともあるように思う。時間に焦っていたり、速く行動しようと、また早く指示しなければという無理に上級生らしい行動をとろうとするところに全ての原因があるように思う。焦って軽断したり、またはその判断が上手くいかなかったりしていたと思う。今後このようなことがないように、変な無理をしないように心掛けたい。

そしてもう一つの反省点は今回の合宿の準備が遅かったことにある。とりあえず、間に合ってはいたが、どたばたで準備することになった。そのため、詳しい山域をチェックする時間がなかったり、重松、塩瀬のピッケルが使えるようなものでないことも合宿中に発覚した。合宿の準備不足も自分が積極的に指示して早めにしておけば防げたことである。もう一つの反省点と挙げたが、原因は結局前のと同じで自分が積極的に意見し、指示しないことである。これからこれが自分の一番解決しなければならない課題と思い、次の冬合宿を大いに成功させれるように頑張りたい。

合宿の感想は、定着はCフェースも面白かったし、源次郎尾根も長く体力的、精神的にきついところもあったが、とても面白かった。チンネはやっぱり行っておけば良かったと後悔はしたが。縦走は初日の登りを除けば全然きつくなかったのでとても楽しめる山行になった。危険個所の八峰キレット、不帰のキレット、瞼も確かにきれてはいたが、しっかり鎖場があったし、きれてるだけで普通の道であった。百名山も今回の剱初登頂を含めて、4つ登れたのでよかった。次は穂高をそろそろ登ってみたい。

 

竹下

なにはともあれ、無事に合宿を行うことが出来、しかもほぼ計画通りに合宿を終えることが出来て良かったと思う。今回の合宿ではもちろん楽しかったことも自信がついたこともたくさんあったが、はじめに反省すべき点について述べていきたいと思う。

まず、計画段階の話だ。今年度が始まってからの問題点ではあったが、計画を立てるのが全体的に遅かった。どこに行くのか、なにをするのか、誰が参加するのか、合宿は何日間になるのか、などなど考えなければならないことは多く、それによって日頃の活動の内容も変わってくる。しかし、今年はなんとなく毎週集まって何かしましょうといった雰囲気であったため、合宿直前に歩荷を詰め込む、1年生は登攀ナシといった結果を生んでしまった。このことについては上級生として1年生に対して非常に申し訳なく思う。いざ、合宿直前になっても計画は煮詰まっておらず、合宿自体が行えるかどうかも不安だった。今後は計画性というものをもっと重要視し、何をするためには何をしていなければならないかということを常に考えていかなければならないと思う。さらにそれは、一部の上級生だけで共有するというのではなく、部員全員で共有していくべきだと思う。

つぎに、計画自体の話だ。今年の定着合宿でのBCは剣沢と昨年の真砂沢とは異なった計画を立てたが、それ以外はほぼ昨年の通りではなかったかと思う。ロングランの目的地も同じ、登攀対象も同じ、雪上訓練の流れも同じ。もう少し、今年の山岳部の色を出しても良かったと思う。確かに、同じ北アルプスで合宿を行うため目的地がかぶってくることは十分にあり得るが、それでもなぜその山、壁なのか、そこまでの道のりはどうなのかなどもう一度部内で話があっても良かったと思う。昨年までの活動を参考にすることはいいことだが、今後は自分たちのオリジナリティをより出していければと思う。

 最後に、1年生たちについての話だ。特に合宿の準備段階で思ったことだが、今年の1年生たちは「部活動」というものに慣れていないのだろうか?ここからはもしかすると、私個人の感じ方が大きく出るかもしれないため、読み飛ばしてもらってもかまわない。ただ、来年度もし私が主将となり部を率いるという話になればここからの話を重要視するつもりなので、まったくの無関係な話とも言い難い。まず、「連絡」についてだ。携帯電話が普及し、誰とでもいつでも連絡が取れるようになった。(授業中、バイト中など例外はあるが)そのため、合宿の準備について互いに連絡を取り合い迅速な行動がとれるのは当たり前の話になってくる。しかし、今年は違った。メールを打っても返事が返ってこないのである。イエスという意味の沈黙なのか、なにかのエラーで届いていないのか、単なる無視なのかわからなかった。かといって電話に出るわけでもなく、何度掛けても繋がらないということも多々あった。その日、もしくは翌日こう動こうかという旨のメールを送っているのに返事がないのでは動きようがない。私にだってバイトがあるし、したいことだってある。その合間を見つけてなんとか部のために動こうとしているのにこの無連絡は大変だった。今後はもう少し連絡の重要性を考えてもらいたい。次に、スケジュールについてだ。高校生時代と違い、バイトを行うなどスケジュール調整が大変になったのはわかる。それでも活動をしようとしている日にバイトが入りましただの、合宿直前に3日間もまったく活動に出られませんだのといったスケジュールを立てるのはいかがなものか?山登りは個人競技のようで個人競技ではない。全員の息が合って初めて成り立つものだと思う。自分はいなくても大丈夫だろう、ではなく、自分もいなくてはという意識で今後の活動に臨んでもらいたい。最後に、自主性についてだ。合宿前も合宿中も感じたことだが、今年の1年生は「〜〜はどうしたらいいですか?」と尋ねてくることが多かったように思う。もちろん、分からないことを尋ねるのは問題ないが、それぐらい自分で判断できるだろうということまで尋ねる必要はない。多少ミスをしてでも、痛い目をしてでも自分で判断して自分で行動してみるというのも大事なことだと思う。命さえ懸かっていなければある程度のことはやってみてもいいと思う。今年の一年生は、精神的にも体力的にも非常にタフであると思う。危険箇所にも怯えることもなく、バテて歩けなくなるということもなかった。素晴らしい点をいくつも持っているのだから、上記のようなことを少しでも改善していけばすばらしいパートナーになってくれるだろうし、それを期待している。

 

さて、嫌なことはこのぐらいにしておいて合宿の楽しかったことを書いていこう。

やはり一番はチンネ左稜線登攀を無事成功させたということだろう。正直なところ、合宿前も、登攀前日もいってやろうという気持ちともしかしたら…というビビる気持ちを両方持っていた。天気でも悪くなってしかたなく撤退ということにならないかなと考えたこともあった。だが、登ってみて無事下りてみるとやはり登って良かったと思う。有名なルートを登りきったということもそうだし、単純に登攀としても非常に楽しかった。流石に20kg近くの荷物を持っての登攀はきつかったが…技術的にも問題はなかったように思うが、まだ100%自信を持っているかというとそうではないので、今後さらに技術的に、体力的に上を目指していきたいと思う。

次は食事についてだろうか…合宿中は、鍋は面倒だとかニンジンが固いだとかよく文句を言っていたことを他の部員は記憶しているかもしれないが、実は内心満足していた。やはり、一日何時間もの活動をクッキー数個では行うことは出来ない。夕飯が一日の一番の楽しみだった。塩とんこつ鍋もおいしかったし、キムチ鍋もおいしかった。カレーやシチューも日に日に上達していくのが楽しみでたまらなかった。米もうまく炊けたり炊けなかったりと大変だったがおいしくできていたと思う。さらに、今回はエッセンに魚肉ソーセージの追加があったことが一番うれしかった。腹が減ってクッキーを食べてもたいしたことはないが、ソーセージは腹にもたまりなかなかよかった。次の次の休憩ではソーセージを食べようなどとひそかに楽しみにしながら登っていたものだ。

他には縦走合宿が楽しかった。初めてリーダーとして部を率いて山行をした。1年生をばてさせまいと、短めに休憩をとったり、歩いた時間、距離、きつさによって休憩の間隔を変えたり、休憩の場所を考えたり…といろいろなことを考えながら歩くことが出来、非常に満足できた。個人的にはなかなかの采配だったと自己満足しているのだが、他の部員はどう感じているのだろうか。ぜひ感想文のところにA45枚ほどで書いてもらいたいものだ。今回は行動中の指揮だけだったから仕事もほとんどなかったが、計画からいろいろ考えるのは大変だろうということも知ることが出来、いい経験になった。

次は…テント生活だろうか。一日の行動が終わってからのつかの間の自由時間がなかなか楽しかった。皆で一枚の紙を回して絵画を合作したり、1年生の書いた小説?を読ませてもらったり、トランプをしたり…皆でお菓子を食べながら話をしたのも楽しかった。コッヘルでお湯を沸かせて飲んだコーヒーもおいしかった。遊びとしては満点だったが、山岳部としてはもっと山だとか壁だとかの話をしたかった。Cフェースはどうだったかとか、チンネはどうだったかとかもっと話をしたかった。

最後はやはり下界の食べ物の話になるか。今回の合宿は昨年の合宿と違い、欲しいものは我慢せずに買った。400円のコーラは法外だがうまかった。お湯入りカップ麺が500円とは。冷池山荘のラーメンも最高だった。やはり、楽しみを持って山行は行うべきだろう。下界に下りた後も、ジュースを飲み飲み、アイスを食べ、定食を食べ、お菓子を買い、幸せだった。エッセンを電車の中で食べる一年生はえらいなと感心してしまう。プラティパスの水を飲むなよと突っ込みたかったが、彼らは水でいいのだろう…名古屋駅でのマックもよかった。マクドナルド北アルプス店などできてくれないだろうか。

 長く大変な合宿ではあったが、それ以上にいい経験も出来たし、景色も楽しめた。部としてのレベルもひとつ上がったように思う。今後もさらに山を楽しんでいきたい

 

重松

合宿を終えて一番強く感じたのは安堵の気持ちでした。去年のことがあったので自分自身が全日程を終わせたことにほっとし、合宿がほぼ計画通りにできたことにほっとし、全員が無事に福岡まで帰って来たことにほっとしました。色々書きたいこと・書かなければならないことがありますが、合宿前の計画段階から順を追って振り返りたいと思います。

まずは合宿前。気が付いたら、とにかく時間がありませんでした。去年も直前少し焦った記憶がありますが、今年はもっと焦りました。計画がギリギリだったということだけでなく、学年が上がって、先輩に任せきりではなく自分も動かなければと思うようになったからかもしれません。もっと余裕のある活動ができていればと、正直合宿一週間前はそんなことばかり考えていました。新歓合宿の時もギリギリで今回もギリギリ…。前回の反省点が生かせなかったこと、それが一つ大きな反省点だと思います。上級生の人数が下級生に比べて少なかったり、テストの日程が去年より遅かったり…といった原因は確かにありましたが、もう少し余裕を持たせることはできなかったのか。自分達の行動で改善できたのではないかと思います。直前にOBの先輩方のお力がなければ…ということを食糧の反省のところでも書きましたが、計画等でも言えることです。次回の合宿ではこういう反省をしなくて済むように部員全員で取り組んでいくべきだと思います。

次に定着に関して。今年は真砂沢ではなく剣沢がBCであったため負担がだいぶ小さかったように思います。それでも特にCフェースの前後ばててしまいました。前日の疲れを残したままだったことが原因だと分かっていましたが、疲れを残すようでは練習不足だっただけです。去年より心がけたつもりでしたが、所詮去年に毛が生えた程度だったようです。それから靴ずれ。侮っていました。結局合宿中苦しめられるという結果になってしまいました。一番しんどいと思ったのがCフェースの行き帰りでしたが、去年出来なかった登攀を経験できたことは良かったと思います。また、去年できなかったことのもう一つ、剱岳を登れたことも非常に思い出に残りました。天気にも恵まれてラッキーでした。靴のおかげで雪渓も少し好きになれたような気がします。しかし、ピッケルを間違えて持ってきた、また一年生に間違って持ってこさせたことは大きな反省点です。いくら準備の時に焦っていたからといってきちんと確認しなかったのは本当に申し訳ないと思っています。以後絶対にしてはいけないことです。そして定着に関してもう一つ。雪訓は滑るのが楽しいだけで、後は痛かった思い出しかありません。一回やったらもういいかなって思ってしまいました。ただ冬山にいかないのに経験できたので、貴重な経験になりました。

それから縦走。まずは、ごめんなさい…です。喘息で隊の行動を遅らせてしまうことが幾度かありました。それでも途中で帰れなんて言わないで、最後の日なんて荷物まで持っていただいて、そこまでして縦走に参加させていただいてありがとうございました。あとはほぼ順調でそれも常にペース配分を考えていただいたからだと感謝しています。これだけ長い縦走は一年生と同じで私も初めてで、行く前から楽しみにしていましたが、今回の山行はなだらかで景色を楽しむことが出来てそれも思い出になりました。

ここで、係ではないけど気象係に関して。準備も何もせずにお手伝い程度にしたくらいですが、一年生が2週間で天気図を描けるようになって良かったと思います。天気図に限らず、様々な技術等後輩に伝えていかなければならないこと、私はまだ二年生だから先輩から受け継がなければならないことがあると思うので、そういう伝統や技術を大切にしたいということも、この合宿を通して感じました。

全体を通して、天候にも恵まれ、寒い思いもせずに済んだので、今回は本当に行動しやすかったと思います。終わってしまえばあっという間でした。沈殿の日も楽しい思い出です。今回の合宿、実は個人的に最後のチャンスだと思って参加していました。来年はきっと学校の方が忙しくて行けないだろうと考えていたからです。だから今回は何としてでもきちんと参加したかったのです。結果どうにかすべての日程を終えることができて良かったなと思っています。山岳部に入っていないと過ごせなかった2週間の夏休みは、なんだか得した気分にさせてくれます。おそらく私が山岳部として活動できる期間はあと半年です。残りの半年も得する半年を過ごしたいと思います。

 

伊藤

今回の合宿では自分に反省すべき点が多くありました。まず最大の問題である集合時間などの時間を守ることです。自分の私用を優先させてしまったり、行動へのとりかかり、実行がおそかったり、不測の事態への対応が遅れたりと様々な問題行動により時間に遅れてしまい結果として隊全体に迷惑をかけてしまいました。特にただでさえ厳しいスケジュールを圧迫する朝の出発時刻への遅刻は二度起こさないようにします。自分は全体的に冷静に周りを見て自分のやるべきことを探すのが苦手で他人に指示されるのを待って行動する悪癖があり時間だけでなく様々な問題を解決するために少しずつ改善していきたいと思います。行動中には、体力、技術、知識など様々な面での自分の未熟さが目立ち、十分に山での行動を楽しむことができませんでした。特に登攀に関しての経験が完全に不足しており、前半のほとんどの活動に参加することができず、そのうえ雪上訓練のザイルの使い方も満足にできないという苦い経験をすることになりました。しかし合宿自体は非常におもしろく様々な体験を通して多くのことを学ぶことができました。北アルプス全体の冬と夏が混ざり合ったような特殊な風景や、頂上で見ることのできる絶景、特に剣岳や爺ヶ岳がそこに到着するつらさもあいまって心に残っています。1つだけ残念だったことをあげれば白馬岳がくもっておりほとんど何も見えなかったことなので、次回以降に機会があればもう一度登ってみたいと思います。山行以外でも団体行動での心がまえや山中での料理の作り方など精神的にも技術的にも成長できたと思います。

 

酒井

 初めての長期合宿で、何もかもが新鮮でした。2週間という長い時間を通して、滅多に出来ない貴重な経験をさせて頂いたような気がします。山登りの観点からは、絶対に一人では登らなかったであろう剱岳、白馬岳に登頂できたことや、鹿島鑓ヶ岳山頂での絶景は素晴らしいものでした。しかし、それだけではなく、下界では味わうことの出来ない過酷な生活を、先輩方や同僚達と文字通り24時間共にしたこと。下界が恋しくなりつつも何とか2週間耐えたこと。などなど、様々な意味で充実した2週間であったように感じます。幸いなことに誰も怪我することなく笑顔で下山でき、1年生ながらいい合宿だったと思います。

 

塩瀬

自分はまだ合宿の経験も浅い状態で、体力にはあまり自信がない状況で夏合宿に参加した。だから、みんなの足手まといになるのではないかとかなり心配していた。案の定、雪上訓練の時には肩を痛めてみんなに迷惑をかけてしまった。定着の1週間は本当に縦走まで耐えることができるのかなぁといつも思っていた。しかし、実際に縦走をやってみると、ピストンのように戻るということがなかったので、そのことが励みになって、自分の体力ももちこたえていたように思える。そして、もう一つ励みになっていたのは山岳部のみんなだった。一人だけだったら絶対14日間も山の中にいることはできなかった。自分が一番印象に残ったことは、山では基本的には団体戦だということだった。例えば、縦走中に一人がばてた場合にはみんなでその人の共同装備を分け合って、その人をカバーしていく。みんなで協力していくことが大切なことであると分かった。反省点は体力面である。縦走中は結構、ばてていたので体力増強に心がけないといけない。そして、肩を鍛えていかないといけないと思った。来年からは2年生になるから山岳部員としての意識をさらに上げていきたい。

 

宮本

今回の合宿では山で過ごすためのあれこれや歩き方のコツなど、今までの活動で身につけることの出来なかったことが徐々に把握できてきたかと思います。料理、医療箱諸々改善の必要なところも分かってきました。もちろん集団生活だったことや遠出だったこともあり山に関係しない面でも成長する事が出来たと思っています。ただ今回残念だったのは一年生が登攀に参加できなかった事です。練習不足ということでしたが、私自身はアプローチの長さに不安がありました。来年の合宿はぜひ参加できるようこの夏季休業は日ごろの体力づくりに気を配っていたいと思います。それから今年は先輩方のご尽力により全員が頑張ってこなせる合宿メニューとなっていたのをひしひしと感じました。私たち一年も足を引っ張らないように技術を磨きつつ、そんな活動が出来る部活にしていきたいです。お疲れ様でした。

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